オフィスのHPでもお知らせしましたが、初めてのお申し込みの方におかれましては、受付を一旦休止いたします。大変申し訳ございません。
再開は夏頃を予定しておりますが、waiting listにお名前をいただいた方を優先して順次ご案内していくため、夏よりも先になってしまう可能性もございます。
予めご了承ください。
さて、カウンセリングをお引き受けできない分、何か役に立てることを…と思うと、やはりこのブログでの発信を、細々とでも続けていかなくてはと思います。
人の心は、決してシンプルな構造をしていません。
私たちは年齢的には大人であっても、心まで大人になってしまうわけではありません。
むしろ、歳を重ねるにつれ、自分の中の子どもらしい部分とかかわり続けることが重要になります。
また、私たちはある出来事に対して、いつもたった一つの感情だけを感じるわけではありません。
悲しみを感じることに不安を感じ、それでも勇気を出して、自分の中の悲しみに近づいてみると、痛みを覚えつつも、どこかほっとした気持ちになる。
感情体験は、こんなふうに玉ねぎの皮のような構造をしていて、ある感情を感じ切ると、次の感情が待ち構えています。
悲しむことを不安に思ってはいけないということもありません。
ある感情を感じることが怖いという感覚は、誰もがもっています(これを感情恐怖と言います)。
でも、不安だからと感情を感じることを避けてしまっては、後々になって心身の不調や、対人面・行動面での問題が出てきてしまいます。
そのため、不安の向こうに何か、自分が感じるのを恐れている大切な感情があるんだということは、知っておいていただきたいなと思います。
私自身にとっても、自分の中の子どもらしい部分や思いやりや創造性の源になっているのを感じます。
その部分が、私にとって大切なさまざまな感情を引き受けてくれています。
傷ついたり、怒りを覚えたり、悲しい思いをしたとき、大人の私は「大人らしく」「取り乱さないように」その感情に対処したつもりになります。
しかし、そうすると、だんだん心の表面が固くなり、感度が鈍くなっていきます。
そして、お腹がいっぱいなのに甘いものを食べすぎてしまったり、意味もなくダラダラと夜更かしをしたり、スマホのゲームなどで時間を浪費してしまうのです。
こんなとき、私にとっては、自分の中の子どもの部分とかかわることが、大きな助けになります。
私の中の子どもらしい部分がくれる助言や提案は、素直さと思いやりに満ちています。
その解決策は、「〜すべき」という堅苦しいものではなく、いつも想像力と遊び心を感じさせます。
子どもの部分とかかわることで、私は地に足がつく感覚を取り戻していくことができます。
私の中の大人の部分がカバーしきれないことを、子どもの部分がしっかりと担ってくれているのです。
生きづらさを抱えて悩んでいる多くの方にとっても、こうしたやり方が助けになればといいなと思います。
大人として一人前にやっていくということは、子どもの部分を切り捨てることではなく、自分の中の子どもの部分に助けを求められることなのだと思います。