感情を感じること。
こころ(ハート)から話すこと。
子どもの頃は知っていたはずなのに(というか、それがすべてだった)、いつしか私たちは、頭で考えて話すこと、論理立てて話すことにとらわれるようになります。
大人になればなるほど、「考えて話しなさい」とは言われても、「感じながら話しなさい」とは言われなくなります。
でも、感情は思考の源泉であり、感情によって何を考えるかが決まってしまうこともあるくらいです。
気持ちが上向きのときは、物事の明るい面が見え、クリエイティブな考えが浮かびます。
一方、気持ちが落ちているときには、物事のネガティブな側面につい目がいき、どんなこともリスクばかりでうまくいかないように思えてしまいます。
思考と感情はつながっている。
そんなふうに考えてみると、まず、自分がどんな感情を感じているのかを気にしてみようと思えるようになります。
感情のメガネをかけて、思考という景色を眺める。
感情という土台の上に、思考という家を建てる。
心の成り立ちに関する理論はいろいろありますが、私はこんなふうに考えて、カウンセリングをし、こんな考え方に基づいて生きています。
なので、頭で考えるだけではなく、心で感じる時間をとても大切にしています。
好きなアーティストの歌を聴いているときや、素晴らしい映画を観ているとき、それから、このブログを書いている時は、心を揺らしながら、頭で考える最高の感覚を感じることができます。
カウンセリングをしているときもそうかもしれません。
感情と思考のバランスが取れ、このふたつがうまく調和しているとき、自分自身であることがとても心地よく感じられます。
世の中には、感情の居場所がない。
あるいは、感情は邪魔者扱いされすぎている。
そんなふうに感じることがたくさんあります。
でも、それならどうして心があるんだろう、と思うのです。
進化のプロセスは、私たちが思っているよりずっと厳しくて、いらないものはどんどんなくなっています。
その中で、感情はなくなるどころか、その種類をどんどん増やしています。
いろんな気持ちがあること。
相反する気持ちを、同時に感じること。
悲しみと哀しみの違いがわかること。
あたたかい涙と、苦しくて流れる涙の違いがわかること。
私たちの心は、いつも繊細に、感情のニュアンスやその複雑を感じているのです。
それが、ほんとうに尊くて美しいことだな、と思うのです。
指紋や目の虹彩が、一人ひとり違うと言われているように、もしいろんな人の心を取り出してみることができたら、きっと全然違う色や形をしているんじゃないかな。
そして、カウンセリングを通して、私はこの仕事をしていなかったら出会えなかったたくさんの人の、たった一つしかない心の色に、形に、質感に、触れさせてもらえているんだなと感じます。