感情を大切にするということは、「感情のままに行動してもいい」ということではありません。
でも、感情について大学で講義をしたり、twitterなどで呟いていると、多くの人がこの点を誤解していると感じます。
今日は改めて、この点についてきちんと書いてみようと思います。
そもそも、イライラしているときに誰かに八つ当たりをしたり、不安なときに誰かにそばにいてほしくて相手を束縛したりといった行動は、自分の感情を大切にしているどころか、感情を無視することで起こります。
自分の中のイライラや不安を、ぐずり始めた子どもだと思ってみてください。
その感情は「どうしたの?」と、あなたが注意を向けてくれるのを待っています。
これが、感情を大切にするということなのです。
一方、八つ当たりや、相手を無理やり束縛するといった行動は、自分の感情の面倒を見ることを放棄しています。
感情が泣いている子どもだとしたら、
「こいつ、厄介だからどうにかしろよ」
「えー、ちょっと何なの、意味わかんない」
と、周りの人に押し付けているようなものなのです。
これでは、感情を大切にしているとは言えません。むしろ、感情に対するネグレクトです。
感情を大切にする。
この言葉に対するみなさんのイメージが、少しでも変わっていたら幸いです。
感情を大切にするには、先ほども書いた通り、まずは、その感情が自分の中にあることを認めることです。
自分がどんな感情を感じているかわかったら、どうしてこんな気持ちになっているのかな、とさらに、自分に聞いてみましょう。
身近に話を聞いてくれそうな人がいたら、この段階で、その人に話すのもいいかもしれません。
「ちょっとイライラしてるんだよね」
「今、すごく不安なんだ」
こうすれば、相手も、あなたから感情をぶつけられていると思わずにすみます。
「話聞こうか?」
「どうしたの?」
そんなふうに、力になってくれるかもしれません。
人は誰でも、相手が、自分で自分の感情の面倒を見ようとしているかどうか、瞬時に見抜く力を持っています。
だから、八つ当たりや過剰な束縛には嫌悪感を示しますし、反対に、気持ちを正直に打ち明けられたら、何か手伝ってあげようと思います。
感情を子どもに例えたら、一生懸命、子どもを泣きやませようと頑張る姿が見えると、
「こうするといいかもしれませんよ」
「大変ですね、うちの子もよく泣くんです」
と、ねぎらいたくなるような感じでしょうか。
感情の面倒を、まずは自分で見ようとする。
もちろん、必ずしもそれは、一人でやらなくてはいけないことではありません。
でも、最初は、ぐずりだした感情と向き合おうと、腹をくくってみてください。
あなたが、自分の感情の面倒をみようとしているとわかれば、助けを求めたとしても、人は迷惑がったりしません。
「一緒に考えよう」
「気持ち、わかるよ」
きっと、そう言ってくれるでしょう。
一人ひとりが、自分の感情の面倒を、自分で見られる社会になったらいい。
そう思っています。