カウンセリングをしていると、人が生きていく上で、
「自分は他の誰かに、あるいは、周りの環境に、インパクトを与えうる存在だ」
と感じられることが、とても重要なのだと感じます。
インパクトを与えているという実感は、「生きているという手応え」「自分がここに存在するという感覚」とも言えるでしょう。
そして、私たちは、願わくは「他の誰かに、周りの環境に、いい影響を与えられる自分でありたい」と思っています。
あなたがいてくれてよかった。
あなたのおかげで助かった。
あなたの笑顔が見れたら、私もうれしい。
自分という存在が、相手を喜ばせたり、ホッとさせたり、笑顔にさせたりする。
そんなことがあると、私たちは「自分がここにいる意味や価値」を感じます。
相手に与える"インパクト"は、私たちをこの世界に繋ぐ錨なのです。
ですから、このインパクトがネガティブなものであっても、私たちはそれに縋りついてしまいます。
例えば、子どもは、親の不幸そうな様子を「自分のせいだ」と感じます。
これは、子どもが大人ほど客観的な視座に立てない(親の置かれた状況を推測するための経験が少ない)ためでもありますが、人間が本来、「他者に与える何らかのインパクト」を強く求める生き物であることとも関連しているのでしょう。
幼い頃に感じた他者へのインパクトが、「自分のせいで相手が不機嫌になる」というものであったとしても、インパクトが「それしかなかった」とき、子どもはそれにしがみついてしまいます。
他者にインパクトを与えられないと感じるほうが、ずっとずっと恐ろしいからです。
「誰にもインパクトを与えられない自分」は、存在しないのと同じに思えるのです。
このネガティブなインパクトを拠り所とした自己イメージとは別に、ポジティブなインパクトによる自己イメージを作っていくのも、カウンセラーの仕事です。
クライエントさんが、カウンセリングの場で見せてくれるひたむきな姿に、実は、胸を打たれているカウンセラーは多いものです。
それを言葉にするか、しないかの違いがあるだけだと思います。
私は、「それを言葉にして伝えたい派」です。
「自分が誰かの心を動かす存在である」と感じられる機会は、なかなかないからです。
特に、大人になればなるほど、そうかもしれません。
実際、「〇〇さんの言葉を聞いて、私もうれしくなりました」、「〇〇さんの笑顔が見られて、私もホッとしました」、「〇〇さんがご自分と向き合っている姿を見ていると、私も励まされます」とお伝えすると、多くのクライエントさんがうれしそうにほほえんでくれます。
(カウンセラーにインパクトを与えることを「怖い」と感じられる方も、もちろんおられます。その恐怖も大切な感情です。そこに、取り組んでいくべき大切なことがあります。そのときは、無理をせずに「怖い」と伝えて大丈夫です。「怖い」は拒絶ではありません。カウンセラーはむしろその率直さに、胸を打たれるはずです。)
「誰かにインパクトを与えたい」と思う気持ちのいじらしさ、愛らしさを感じる瞬間です。
そんな一瞬一瞬の積み重ねが、大きな変化へとつながっていくのだと思います。