嫉妬という感情は、他者に向かうと非常に厄介です。
しかし、その感情をしっかりと自分の中に抱きしめて、自分との対話に使うことには、とても大きな意味があります。
嫉妬が表しているものは、自分の望みであり、願いだからです。
「愛されている人が羨ましい」なら、「自分も誰かに愛されたい」。
「成功している人が羨ましい」なら、「自分も成功を手にしたい」。
「フォロワーが多い人が羨ましい」なら、「自分ももっと人の注目を集めたい」。
「うらやましい」が持つ、こうしたシンプルな願いに気づいてあげることが大切です。
気づいてあげるだけに楽になることもあれば、気づいてあげた上で、それを叶える方法がないかを模索ふることが必要な場合もあるでしょう。
この願いを無視していると、「うらやましい」が「ねたましい」になってしまいます。
「うらやましい」が持つシンプルな願いが放置され、そこに悲しみや怒りが生まれるのです。
そうすると、「自分が持てないものを持つ相手への憎しみが生まれ、「ねたましい」に変わってしまいます。
自分の中のうらやましい気持ちに気づいたら、例えば、ショーウィンドウの中のおもちゃをじっと見つめている子どもの姿を想像してみるといいかもしれません。
(ほしいな、でも買ってもらえないかもしれない)
そんな眼差しは、決して浅ましくも横柄でもなく、必死で切実です。
今すぐに手に入れることができなくても、「あれがほしいんだね。すごく素敵だもんね」と、ほしいという願いに寄り添ってあげることはできるかもしれません。
シンプルな願いをまずは受け止めてあげる。
そうすると、そのためにどうすればいいかを考えることができるようになります。
どうすればいいかを考えることができたら、どう行動したらいいかも自ずと見えてくるでしょう。
嫉妬は、他者の足を引っ張るためのものではなく、自分の望みを明らかにし、叶えるためにある。
どんな感情にも意味があります。
感情を悪者にするかどうかは、私たちの使い方次第なのです。