カウンセリングの勉強のために、海外のセッションビデオを見ていて思うのは、"自分を主語として語るのが当然の文化と、そうでない文化がある”ということです。
これは前にも書いたことがあるような気がしますが、私たちは早くから「人の気持ちを考えなさい」と言われながら育ちます。一方で、「あなたはどう思っているの?」と自分を主語にして尋ねられ、それを語る機会は多くありません。
学校ではそういったことも聞かれますが、子どもたちはそこで話すべきは、”自分の心で感じたこと”ではなく、”大人から歓迎されること”であり、”正解としてふさわしいもの”であることを学習していきます。
ますます、”自分の心で感じること”は、私たちの意識の深いところへと追いやられ、”自分の心が感じたこと”を表現できることの価値はずっと、過小評価され続けます。
しかし、大人になり、パートナーや自分に合った仕事を選んで幸せな人生を歩んでいこうとすると、この”自分の心が求めていること”を感じる力が、いきなり必要性を増し始めます。
”なんだか生きていくのが苦しい”
”自分は一体何をしたかったんだっけ”
”何のために生きているんだろう”
他者から求められることにばかり注意を払い、自分の心にアンテナを張ることを忘れて、いつの間にか、人生という大きなジャングルの中で、迷子になっている自分に気づき、途方にくれるのです。
”自分の心が求めていること”こそ、人生というジャングルの中で正しい方向を示してくれるコンパスであるはずなのに、大人になるまで、その価値の大きさを教えてくれる人はほとんどいないのです。
カウンセリングは、この自分の人生を歩むための心のコンパスを、意識の深いところから発掘する作業です。
「自分にはもともとそのコンパスが備わってなかったのではないか」と、疑う必要はありません。
みんな、ちゃんとこのコンパスを持って生まれてきます。
でも、そのコンパス通りに生きていくことは、周りの大人からすると「危なっかしい」「間違いを起こしそうな」「不都合で」「未熟な」ものに見えるので、そうした大人たちの態度から、子どもは自分が持っているコンパスの価値や有能さを疑うようになってしまうのです。
大人たちにとっては、子どもがすでに持っている心のコンパスを信じることは、容易いことではありません。
でも、人生の中でたった数回でも、自分の中のコンパスの存在に気づいてくれて、その価値を認め、信じてくれる誰かに出会えたなら、子どもはコンパスをその手にしっかり握りしめることができます。決してなくすことはありません。
自分も、心のコンパスをちゃんと持っている。正しく動いてくれている。
カウンセリングのプロセスが進む中で、そんな手応えを感じていただけたなら幸いです。