カウンセリングのプロセスの中で最も難しさを感じるのは、有害な恥(toxic shame)を克服していくプロセスです。
一緒にやり遂げてくださったクライエントさんには、心から感謝とリスペクト、そして労いを贈りたいと、いつも思います。
自分には愛される価値がない。
自分は何もできない(無能だ)。
自分のことなんて誰も気にかけない。
自分なんていてもいなくてもおんなじだ。
こうした「自分に植えつけられた、恥を喚起する声」に気づくことも、それをカウンセラーに伝えるための言葉にすることさえ、みじめさに打ちのめされ、痛みを伴う体験です。
そしてようやく、その声によって痛めつけられた自分を見つけても、その自分をみること自体が、つらく、苦々しく、傷ついた自分に嫌悪感を抱いてしまうこともあります。
大人になった現在の自分をも圧倒するような痛ましさに、途方にくれることもあるでしょう。
「こんな自分に、一体何をしてあげたらいいのかわからない」
わからないことは、人を不安にし、困惑させます。
わからなくて、不安になること自体が、また恥を喚起します。
恥を克服していくプロセスには、こうした不安や戸惑いが湧き起こり、そして、再び恥の深みにはまる危険が常につきまといます。
まるで綱渡りのようもありますし、クライエントさんからすると、三歩進んで二歩下がるような非常にもどかしいプロセスかもしれません。
カウンセラーは、クライエントさんの心の動きを注意深く見守る必要があります。
そして、恥に対する解毒剤を少しずつ、でもしっかりと、クライエントさんに取り入れてもらうことが大切です。
恥に対する解毒剤として働くのは、クライエントさんの尊厳を守るための怒りと誇り、あたたかく力強い思いやり、そしてカウンセラーとの間にある安心安全な関係です。
植えつけられた恥によって、傷つき、痛めつけられ、長らくひとりぼっちだった自分には、そばにいて、「もう大丈夫」と声をかけてくれて、傷の手当てをして、暖かいベッドでゆっくり休ませてくれる存在が必要です。
あるいは、まだ人を怖がっているような場合には、まず先に、安心していられる場所を準備してあげることが必要なこともあるでしょう。
有害な恥は手強いので、何度もくじけそうになることもあるかもしれません。
でも、クライエントさんの価値を貶めるような言葉は、(今までだって要らなかったけれど)今のクライエントさんにはまったく必要のないものです。
何度でも、この強い気持ちに立ち返ることが大切です。
恥の呪いが解けた後には、自分を大切にできる感覚や、自分を愛おしく思う気持ち、自分を疑う必要はなく、これいいのだと言ってあげられる自(分に対する)信(頼)が、姿を現し始めます。
その瞬間は、本当に美しいです。
この瞬間に立ち会うために、カウンセラーを続けていると言っても過言ではないくらい、感動的なのです。
そんな瞬間を、今年も少しでも多くのクライエントさんと一緒に迎えられるよう、頑張らなくてはと思います。