前回、有害な恥(toxic shame)という感情への対処法として、感じて受け入れるのではなく、「距離をとって眺める」ほうがよいという記事を書きました。
有害な恥とはどういう感覚かについても、以下の記事をご参照ください。
なぜか距離をとって眺めるのがよいのかというと、この有害な恥の感覚が自分の中にあると、まるでその恥の感覚に乗っ取られてしまったかのように、自分に対する否定的な気持ちと、それに伴うつらい気持ちや劣等感で、心がいっぱいになってしまうからです。
この気持ちは、感じても感じても出口が見えない、蟻地獄のような感情なのです。
そこで、まずは、自分の体からその感情を取り出すようなイメージを使ってもいいので、この有害な恥という感覚と距離をとってみます。
そうすると、大きく分けて2つのことが起こります。
一つは、恥の感覚に苦しんできた自分への思いやりや労いの気持ちが生まれてくるということです。
距離を取ることによって、「その感情に苦しんでいる自分」を客観的に見ることができるようになります。そうすると、その自分に対して「すごく苦しそう」「暗い部屋の隅で膝を抱えて小さくなっていて、見ていていたたまれない」「かわいそう」という気持ちが湧いてきます。
有害な恥によって、痛めつけられ、打ちひしがれている自分を外側から見て見ることで、これまで当たり前だと思ってきた、「お前は無能だ」「お前は誰からも必要とされない」「お前には愛される価値がない」といった言葉たちが、理不尽で残酷なものに聞こえてくるのです。
こんなふうに、自分の中に当たり前に響いていた有害な恥の声に、違和感を持てるようになることが、この有害な恥の声から自由になる第一歩です。
次に、その声のルーツを探す作業も行います。
「お前は無能だ」「お前は誰からも必要とされない」「お前には愛される価値がない」
これらの言葉たちは、自分が作り出しているものなのか、あるいは、遠い昔、子供の頃にだれかから繰り返し言われてきた声なのかを見ていくのです。
結論としては、どちらの可能性もあります。
これらの言葉を身近な大人から繰り返し言われてきて、いつの間にか、その声が自分の中にも住むようになってしまったという人もいれば、はっきりと言葉にされたことはなくても、周囲の人たちの様子や自分へのかかわり方の中から(多くは感情調整、感情ての応答の失敗による)、子どもが「自分がいてもいなくてもきっと同じなんだ」という無価値感を感じるようにもなることもあり得ます。
誰かから言われ続けた言葉であるなら、それは自分の言葉ではないので、その言葉と決別するワークを行います。
身近な大人との関係を通して、自分の中に生まれてしまった言葉なら、そこに理想的な他者やカウンセラー、あるいは大人の自分を登場させて、子どもの頃の自分が本当にほしかった感情への反応をしてあげるワーク(例えば、泣いているのに放っておかれるのではなく、泣いていたらすぐに誰かが来てくれて、慰めてくれる)をやっていくことになります。
セルフヘルプの本などにも、こうしたワークは紹介されています。また、カウンセリングの中で、カウンセラーと一緒に、実際に言葉を声に出して話してみることもパワフルな効果をもたらします。
有害な恥という概念を知ることで、今までどこにあるのかわからなかった心のトゲを見出し、取り除く機会になれば幸いです。
最後に、有害な恥について、わかりやすく書かれている本をご紹介します。