ハラスメントをはじめとした関係性をめぐる問題では、大声で怒鳴った、暴力をふるった、人格を否定するようなことを言ったなど、「何かをした」ことが問題になることが多いかもしれません。
しかしその一方で、「何もされない」ということも大きな問題です。
明らかに何かをされた訳ではなくても、「自分が言ったことに誰も反応してくれなかった」「なかったことにされた」「庇ってもらえなかった」などのように、「あるべき助けを得られない」ことも十分に人を傷つけます。
反応してもらえない、軽んじられる、守ってもらえないといった出来事は、それを経験する人をつらい思いとともに孤独の中に閉じ込めます。
「自分はそんな価値のない存在なんだ」と、自分を価値を矮小化したり、
「誰かが助けてくれるなんて期待した自分が馬鹿だった」と、自分を責めたり、
「こんなことで傷つく自分がおかしい(だって、みんなは平気そうな顔をしていた)」と、自分が感じた感覚を否定してしまうのです。
幼い子どもを見ていると、周りの大人や外側との環境のふれあいやかかわり合いを、心から楽しんでいるのが伝わってきます。
自分が発した声や言葉、自分が伸ばした腕に世界が反応してくれることを通して、「今、自分が確かに、ここに存在している」と感じたいのは、何も子どもの頃に限ったことではないはずです。
心からの声や、本当に自分が感じていることを表した言葉が、誰にも届かずに消えていく。
そんなとき、私たちは途端に、自分自身の存在感や「自分はこれでいい」という感覚を保ちにくくなっていきます。
まさに「自分を見失う」という状態です。
周囲の無反応や無関心によって、ある人が自分を見失うような体験に投げ込まれるなら、それもある種の暴力と言えるかもしれません。
カウンセリングは、自分の声を、自分の感覚を、この人生を自分自身で生きるという実感を取り戻すプロセスです。
不思議なのは、自分の中の本当の声に耳を傾けてくれる誰か、自分の感覚を歓迎してくれる誰かの存在を感じると、どこに行ったのかわからなくなっていた「本当の自分」が戻ってくることです。
「コンタクトの取り方がわからなくなっていただけで、本当の自分はずっとここにいてくれたんだ」
「帰ってきたって感じがする:
「私の中の自分は、私を見捨てないでいてくれたんだ」
そんなふうに話してくれるとき、クライエントさんたちの目には涙が浮かびます。
しかしそれはただ悲しい涙ではなく、「帰ってきたよ」「おかえり」の涙なのです。