私たちは、何かと”包む”ことを好みます。
物を買ったときの包装紙しかり。
お年玉のポチ袋しかり。
昔は手紙を出すときに、最後に白紙を一枚入れることもありました。
言葉を”重ねる”ことは、丁寧な印象を相手に与えます。
こんな文化の中で育つと、”曖昧ではっきりとさせないこと”が、むしろ善であるようにも感じられます。
しかし、感情や体験といった自分の心が感じていることに近づくためには、曖昧さよりもむしろ、”はっきりと”、”鮮明で”、”生々しい”語りが必要になります。
そのため、カウンセリングの中では、時に具体的にすること、特定することが必要になります。
曖昧になっている部分や、ぼかされているところが、”はっきりと”、”鮮明に”なるように聴いていくと、クライエントさんの目に涙が浮かんだり、肩に力が入ってきたり、拳を握りしめたりと、”何らかの感情が起こってきているサイン”が身体に見え始めます。
しかし、こんなときほど、カウンセラーのほうは慎重に、丁寧に進んでいかなくてはなりません。
今でも、お金や品物を包まずに渡すとき、私たちはこう言います。
「”裸”のままですみません」
これまでずっと、感情や体験を”包んで”きたことにも理由があります。
無防備で傷つきやすい裸の心、むき出しの心を、大切に守る必要があったり、あるいは隠さなくてはならないと感じてきたのかもしれません。
曖昧にしていたり、ぼかしたりして”包んできた”感情や体験を、はっきりと、鮮明に、生々しく語ろうとするとき、すでに、多くのクライエントさんはものすごい勇気を振り絞っています。
決して簡単なことではありません。
はっきりと、鮮明に、生々しく語ることに、抵抗を覚えたり、話せない・話したくないと感じる自分に気づくこともあるかもしれません。
そうしたら、ぜひその感覚を、カウンセラーに伝えてみてください。
はっきりと、鮮明に、生々しく語れないことは、恥ずかしいことでも、悪いことでも、ダメなことでもありません。
はっきりと、鮮明に、生々しく話そうとするときに、自分の中でどんなことが起こってくるのか。
それに気づいて、思いやりと関心を持ちながら、その体験をカウンセラーと一緒に見つめていくこと。
そのためにこそ、カウンセリングという場があるのであり、そうするこそが、幸せに生きるためのセルフケアへとつながっていくのです。