「わかってほしい」「ちゃんと見てほしい」
カウンセリングの場で、自分の感情にしっかりと触れられるようになると、こうした”他者へのニーズ”が表現されることがあります。
こうしてほしかった。ああしてほしかった。
そう言えること自体とても大切なことで、それ自体に一種の自浄作用(カタルシス効果)があります。
しかし、現実には、どうしてもそのニーズを満たすことができない場合もあるでしょう。
例えば、
・親やパートナーが自己愛的で、クライエントを”自分にとっての他者”として尊重できない場合。
・わかってほしかった相手とはもう疎遠になっていたり、死別したりしていて、話ができない場合。
などです。
そんなときは、カウンセラーやクライエントさん自身が、そのニーズをしっかりと聞き取り、その存在(ニーズがあるということ)を認めるのも一つの方法です。
カウンセラーだけではなく、実はクライエントさんご自身の中にも、”自分にとってのよい聴き手”や”自分の一番の理解者”が存在します。
クライエントさんの中には、”わかってほしい自分”だけがいるわけではなく、”その自分のことを、わかってあげられる自分”もちゃんといるのです。
”わかってほしい自分”しか感じられないと、
「大人になってまでいつまでも、親にわかってほしいと思っているなんて、情けない」
と、自分を恥じる気持ちが出てきてしまいますが、自分の中に”わかってくれる自分”もいることが感じられると、”わかってもらえなかった”という痛みだけではなく、自分を恥じる気持ちもすーっと消えていきます。
そして、代わりに、
「親がしてくれなかったことを、今、自分が自分にやってあげられている。私にはできる」
という自信や誇り(恥を打ち消す感情)を感じることができるようになります。
与えられなかったものでも、生み出すことができる。
与えられなかったものでも、目の前にそれが差し出されたら、それが自分に必要だったと知ることができる(時間はかかっても)。
これは、私がカウンセリングをしていて、人ってすごいなと思う瞬間の一つです。
”わかってほしい”という気持ちは、必ずしも親やパートナーに向かっているわけではないのかもしれません。
”わかってほしい”という気持ちが求めているのは、ただ、”わかってもらえた”という体験なのではないかと感じます。
”自分のことをわかってあげられる自分になる”ことは、カウンセリングを通して、多くのクライエントさんが見出していく解決策の一つなのです。