生きていると、たくさんの「予想もしなかったこと」に出会います。
昨日まで仲良くしていた友達に無視される。
進学先のレベルが高くて、それまでのような成績が取れなくなる。
受験や就活で、第1志望のところに入れない。
大切な人が突然亡くなる。
会社が倒産する。
こうした出来事が、カウンセリングに来るきっかけになることも少なくありません。
しかし、クライエントさんの語りを聴いていると、時々不思議な感覚を覚えることがあります。
「その人自身が受けたショック」に、なかなか話が及ばないのです。
「どうしたらいいのかわからない」とか、「前を向くしかないのはわかっているんですけど」とうふうに、「何がわかっていて、何がわかっていないか」を語る方はたくさんいます。
しかし、その出来事が自分にどんなインパクトを及ぼし、それによって「自分がどんなふうに揺らいでいるか」を話せる方は、それほど多くはありません。
インパクトそのものを感じないようにすることで、自分の心を守っているかのようです。
しかし、不幸なのは、そんなふうに揺らいでいる自分自身に向き合えないために、心と身体が自然な状態でいられなくなり、カウンセリングに来ることになっているという点です。
「会社の倒産」が震源地だとして、まるで揺れたのはそこだけであるかのように、話す人がいます。
しかし実際は、その揺れを、その人自身も強く感じているはずなのです。
揺れの大きさを感じることができれば、つまり、ショックを感じているということを認めることができれば(それがどんな影響を自分に与えたか、詳しく描写できるくらいに)、自然とそこから立ち上がるための発想が生まれます。
私自身も、高校1年生の1学期に、それまでの人生で最悪の成績を取りました。
上から数えるより下から数えた方がずっと早かったのです。
そんな成績はこれまで取ったこともなく、最初はその成績表を直視することができませんでした。
悔しくて、恥ずかしくて、これまでの自分に対するイメージが大きく揺らぐのを感じました。
しかし、親はそんな私を責めることなく、「上には上がいるんやな」「レベルの高いところに入ったんやから、しょうがないよ」と言ってくれました。
親が、「その高校に入っただけですごい」と思ってくれていたことが救いでした。
それによって、私の中でも「スタートがここなんだから、あとは上がるしかない」という気持ちが芽生え、高校3年生に上がる頃には、上位3分の1に入るの成績をキープできるようになっていました。
「よくここまで上ったなぁ」と、両親と話したのを覚えています。
ショックを受け止めるには、ショックを和らげてくれる存在も必要です。
しかし、そのためには、本人が「ショックを受けている」ことを隠さずにいられることも大切なのだと思います。
もし当時の私が、ショックを受けているのにそれを悟られまいとして、ヘラヘラ笑っていたりしたら(これも防衛のひとつではありますが)、親は私を叱ったかもしれません。
そしたら、私は、「ショックを受けている本当の自分」を出すことができなくなり、そのショックを和らげ、認め、立ち直る機会を得ることができないままだったでしょう。
でも、この「揺らぐ自分を認め、受け入れること」が誰にとっても、自然で当たり前というわけではないのだということも、カウンセリングをしているとよくわかります。
安心して、揺らいでもらえること。
揺れてもいいのだと思ってもらえること。
安心して、ショックだと言ってもらえること。
それが、カウンセリングの場なのだと思っていますし、そういう場があるのだということを知っておいてもらえたらと思います。