このようなご時世なので、オンラインでカウンセリングを行うと、クライエントさんから、
「東京のほうは大丈夫ですか」
「先生、くれぐれもご自愛くださいね」
という言葉をいただきます。
ここのところ、セッションの最初と終わりには、私とクライエントさんの間にある、“心配”や“いたわり”というボールを乗せたシーソーが、私のほうにぐーっと傾きます。
ほんとうに、ありがたいことです。
昔、臨床心理士を目指した人の中には、
「クライエントに心配されてはいけない」
「クライエントに感謝されてはいけない」
と、教えられた人も少なくないでしょう。今でも、こうした“教え”を時折、耳にします。
無意識のうちに、クライエントさんを搾取する関係に陥らないように、との戒めだったのだと思います。
しかし、クライエントさんからの思いやりやいたわりを受け取らないという態度もまた、クライエントさんを傷つけます。
お互いを労わりあったり、クライエントさんからのいたわりを受け取ることの方がずっと、大切だなと感じます。
「それでは、いつも誰かの世話をしてきたクライエントさんに、カウンセラーの世話をさせることになるじゃないか」
と、さも正しそうな批判の声が、頭の中に鳴り響くかもしれません(心理士あるあるですね)。
しかし、「大丈夫ですか」というクライエントさんの言葉に、
「大丈夫ですよ。心配してくださって、ありがとうございます。そちらはどうですか?」
と答えるのは、“カウンセラーの世話をさせる”ことにはなりません。
私たちの仕事は、これまで搾取し続けられた人たちに、もう二度と優しさを示さないように教えることではありません。
その貴重な優しさを、きちんと受け取ってくれる人のために、そして、自分自身のために使えるようになってもらうことなのです。
このような状況なので、確かに、思いやりの搾取は起こりやすくなります。
人の心配ばかりしている人もいるでしょう。
無欲で、自己犠牲的であることを善だと思い行動する人もいるかもしれません。
しかし、そんな時だからこそ、
「私は大丈夫です。〇〇さんはどうですか?」
と、相手にも自分がどういう状態なのか、確かめてもらえるような質問をします。
“心配”や“いたわり”のボールをきちんと受け取って、相手に返すのです。
ただでさえ、テレビのニュースでは、「東京がいかに大変なことになっているか」が報道されています。
クライエントさんたちは、その心配を抱えて、オンライン・カウンセリングにいらっしゃいます。そこで、私がいつも通り、画面越しにいることで、
「先生の笑顔が見れて、ホッとした」
と仰ってくださいます。そのクライエントさんの笑顔に、私もまた、ホッとさせられているのです。
こうした非常時に限らず、“心配”や“いたわり”のボールを乗せたシーソーは、いつもクライエントさんのほうにだけ、傾いているわけではありません。
あっちに行ったり、こっちに行ったりしながら、カウンセラーもクライエントさんの優しさに、励まされているのです。