カウンセリングを受けるという営みは、チャレンジの連続だとつくづく思います。
例えば、今まで誰の助けも借りずにやってきた人にとって、専門家とは言え、赤の他人に自分の抱えている悩みや葛藤を打ち明け、「クライエントになる」ということが、まず最初の大きなチャレンジです。
そして、「クライエントになる」というチャレンジをした後にも、「自分の痛みや傷つきに向き合う」、「愛情をくれなかった人、でも愛してほしかった人に対して怒りを向ける」、「愛してもらえなかった悲しみを感じ切る」という数々のチャレンジが待ち受けているのです。
胸が潰れるほどの悲しみを感じ切る体験は、もはや試練といってもいいほどです。
そのため、私は「カウンセリングを受けるのは、心が弱い人」という言葉に、強烈な違和感と憤りを覚えます。
カウンセリングを受けるのは、「自分の人生を生きること、自分の人生を取り戻すことを諦めていない人」だと思うのです。
クライエントとして、カウンセリングの門を叩くこと。
今まで蓋をしてきた、つらい感情、つらい関係、つらい出来事と向き合うこと。
叶わなかった願いを口にすること。
愛してほしかった相手が、変わることなどないのだという悲しい現実を認めること。
今まで費やしてきた時間を嘆くこと。
愛してほしくて自分が頑張ってきたことを、一つひとつ、カウンセラーと一緒に認めていくこと。
親から与えられたいと願っていた、いたわりやケアや、優しさを自分で自分に向けていくこと。
それができる自分の真の強さを感じ、誇りに思うこと。
どのプロセスにも、胸を締め付けられるようなやるせなさがあります。
クライエントさんの代わりに、私がため息をこぼすこともたくさんあります。
かつて歯を食いしばって堪えた涙や、拳を握りしめて堪えた怒りを、今ここで一緒に感じ直していくような作業です。
ただ、そんな過酷なプロセスの中でも、クライエントさんに感じていてほしいのは、「それを一人でやるのではない」ということです。
つらい過去のことなど思い出したくもない。もう乗り越えたと思っていたのに。
そんなふうに感じるのは当然です。
でも、そう感じているとき、頭の中にどんなイメージが浮かんでいるか、ちょっと意識してみてください。
イメージの中のあなたは、一人ぼっちでいるのではないでしょうか。
今度(カウンセリングで)は、違うイメージを持っていただきたいのです。
カウンセラーが、あなたと一緒にいるというイメージです。
つらい感情に向き合うときには、その感情を一緒に受け止め、その感情のニーズを聞き届け、ともに調整してくれる相棒が必要です。
「一人でやらなくていいのです。一緒にやりましょう」
これは、心の中で常々思いながら、そして時にはっきりと言葉に出すことで、クライエントさんに伝えたいと思っていることの一つです。