先日、「こころの知見を届ける」メディア、MOSSさんに記事を書かせていただきました。
感情の理論を学び、私自身も「あの時のあれは、そういうことだったのかな」と腑に落ちることがたくさんあります。
例えば、「この怒りについて知ろう」の記事にも書いた怒りの分類を知ったときに、すとんと腹落ちしたこととして、ある日の父親とのやり取りがあります。
中学生か、小学校の高学年くらいだったある日のこと。私は居間で、父の向かいに座って、宿題をしていました。
私が宿題の問題を父に出したのだったか、詳細は覚えていないのですが、とにかく父が私の知っていることを知らなくて、
「そんなのもわからんとか、馬鹿やね」
と、冗談のつもりで言ったところ、父親が机を私のほうにドンっと押し、
「なにっ」
と声を荒げたのです。
私はその父の反応が我慢ならなくて、勉強道具を畳み、母親のいるキッチンへ行きました。父の態度が怖かったのもありましたし、それくらいのことで腹を立て、暴力に訴えた父を情けないと思いました。そして、自分がそんな子どもっぽい怒り方をする父親の娘であることが歯がゆく、涙が出てきました。
父に腹が立っただけの出来事なら、いつの間にか忘れてしまっていたと思います。しかし、声を荒げた瞬間の父の表情と、その時自分の胸に去来した感情を、私はその後、何年も忘れることができませんでした。
私に向かって机を押しやった感情は、確かに怒りでした。ただ、父の瞳の奥には別の感情もあり、私は子ども心にそれを感じ取っていたのだと思います。
これは今だから言葉にできることですが、おそらく、父の瞳の奥にあったのは、自分の子どもに馬鹿にされたことから来る恥と恐怖、そして傷つきです。
当時、父の怒りに理不尽なものを感じた私も、故意にではないにせよ、父を傷つけてしまったという罪悪感と後悔を感じ、それがずっと心の何処かに引っかかっていたのだと思います。
父は勉強が苦手なタイプで、育った家も裕福ではなかったため、高卒で社会に出たことで、学歴コンプレックスを感じていました。
私の言葉は、きっと父の心の傷に触れたのでしょう。そして、その痛みを感じるのがつらかった父は、怒りという感情で自分の心を守ったのだと思います。
先の記事にまとめた2つ目の怒りの働きを学んだとき、私の脳裏には、この時の出来事が思い出されました。
それくらいのことで怒るなんてひどい、という当時の自分の気持ちも認めたい。
でも、当時はしっかりと感じることができなかった父への申し訳なさ、「傷つけてごめんなさい」という気持ちにも、今ならスペースをあげられそうな気がします。
あの時、お父さんは、怒りで自分を守ったんだね。そうせざるを得ない痛みに、私が触れてしまったんだね。わざとではなかったけど、傷つけてしまってごめんなさい。
親も、いろんな傷を負い、いろんな痛みを隠している。
子どもの頃の私に、それをケアする責任はないけど、大人になった私は、その痛みに心を寄せてあげられる。
こんなふうに思えるようになったのは、自分も年を重ねたことと、感情や心の仕組みに関する知識を持つことができたからだと思います。
心について知ることは、人に優しくなれること。
そんな思いで、今日もこのブログを書いています。