自分の体験だけを大切にできる場所。
自分の体験の正当性を、誰にも憚ることなく話せる場所。
SNSを通じて人々がつながりすぎる世の中で、カウンセリングという場は、そうした価値を持っています。
子どもの頃から、私たちは「人の気持ちを考えなさい」と言われます。
「自分の気持ちをしっかり感じなさい」とは言われません。
その結果、自分の本当の気持ちがよくわからなくなっているばかりか、人の気持ちや感情を決めつけて、土足で踏むこみことになってしまっている人も、少なくないようです。
ただ私自身としてそこに存在し、ただ私のためだけに、「私はこう思う」「こんな気持ちになる」「こう感じる」と言える体験がないと、本当の意味で、誰かの気持ちを尊重することは難しいような気がします。
カウンセラーは、クライエントさんの体験のプロセスを完了させるお手伝いをしますが、このとき、クライエントさんの主観的な体験を大切に考えます。
「誰が何と言おうと、私は腹が立った」
「誰が何と言おうと、私は傷ついた」
「誰が何と言おうと、私は悔しかった」
そう言えた瞬間から、胸につかえていた感情が、自然な流れを取り戻します。
でも、こんなふうに言うことは、日常ではちっとも簡単ではありません。
子どもとして、大人として、親として、上司として、社会人として、子どもとして、パートナーとして、私たちは関係性の中で空気を読んで振る舞うことを優先し、自分の気持ちを脇に置きっぱなしにしてしまうからです。
そのような中で、「自分の気持ちがうまくコントロールできない」と感じるのは、実はとても自然なことです。自分の気持ちをコントロールするためには、自分の気持ちをしっかり感じる必要があるのです。
気持ちは、「しっかりと感じられて」はじめて、コントロールできるものになります。
なので、カウンセリングの場では、普段「ないもの」「後回し」にされてしまっているクライエントさんの体験に焦点を当てます。
「自己肯定感を持ちたい」と感じている人は多いと思います。
この言葉の定義はさまざまですが、私は「自分の主観的な体験を、ありのままに受け止められること」だと思っています。
自分大好き、自分至上主義者になることではなく。
人から見たら些細なことでも、私はこれに傷ついたと、心の中で認められること。
世間の人は間違っているというかもしれないけど、私はこれは正しいと思うと、心の中で認められること。
あなたの考えとは違うかもしれないけど、私はこれが好きだと、心の中で宣言できること。
この「心の中で」がポイントです。
自分の本当の気持ちは、究極、自分がわかっていればいいと、私は思います。
話の通じない相手に、わざわざ話して聞かせる必要はありません。
私たち日本人は、器用に「ウチとソト」を使い分けてきました。
これは、集団の和を重んじる文化の中で、個を守るために欠かせない仕組みです。
私も、他の人と共有できないかもしれない主観的な気持ちや考えは、今でもそっと心の扉の中にしまいます。
でも、それが「そこにある」と自分がわかっているので、苦しくなることはないのです。
いろんな人が生きている世の中(ソト)を渡っている自分と、自分の本当の気持ちを感じられる場所(ウチ)は、きちんと分けることが心の健康を保つ鍵です。
そのウチとしての場所の一つが、カウンセリングルームだと思っているのです。