カウンセラーもカウンセリングを受けます。
今回お話しするのは、私のカウンセリング体験です。
私は親のスパルタ教育(もはや死語?)の影響で、なかなか自分に自信を持つことができないタイプでした。
テストでは100点を取るのが当たり前。90点台でもがっかりされたり、どこができなかったのかを追求されて、子どもの頃はしんどい思いをしました。
「できたこと」がどんなにたくさんあっても、人は決して完璧ではないので、「できなかったこと」も当然あります。
その「できなかったこと」に注目される度合いが高かったせいで、私も自分の「できるところ」ではなく、「できないところ」にばかり目を向けるようになってしまったのです。
大人になってから、とてもショックな出来事を体験し、気持ちが不安定になり、カウンセリングの門を叩きました。
初回のカウンセリングで、カウンセラーさんから、
「内面を見つめる力、自分の気持ちを感じる力も十分あるから、ひとりでもやっていけそうだけど」
と言われて、最初、私はこのメッセージを拒否・拒絶として受け取ってしまいました。
自分ひとりではどうしようもないと思ったから、カウンセリングを受けようと思ったのに、「ひとりでできるでしょ」と突っぱねられたように感じてしまったのです。
宿題がうまくできないと、母から「知らない、ひとりでやりなさい」と言い捨てられたことも無意識のうちに思い出されていたかもしれません。
しかし、カウンセラーさんは私の顔色がさっと変わったのに気づいて、継続の提案をしてくださいました。
すぐに気づいてもらえた安心感もあってか、拒否された傷つきはあったものの、カウンセリングルームを出た後、この出来事についてじっくり振り返ってみました。
思えば、私の人生にはこういうことが多かったのです。
「もうひとりでできるよ。だから、やってみなさい」
「きみはこんなところにいる人間じゃない」
穏やかな顔で、真剣な表情で、そう励ましてくれた人たちの顔が浮かびました。
「ひとりでできるよ」
それは、拒否のメッセージではなく、私の力を認めてくれているということなのかもしれない。もっと自信を持ちなさいと言われているのかもしれない。
次回のセッションで、私は冒頭にこの話題を出し、自分に自信を持つことが大切なのかもしれないという話を、カウンセラーさんに伝えました。
我ながら殊勝なクライエントだったと思いますが笑、カウンセラーさんはニコニコして頷きながら聴いてくださいました。そして、
「ひとりでもやっていけそうと言ってしまってごめんなさいね」
と仰いました。
傷つける意図はなかったとしても、ごめんなさいと言葉にしてもらえて、私の心もすーっと軽くなるようでした。
カウンセラーさんが率直でいてくれたことで、私は自分の自信のなさに気づき、それが周りからのメッセージを歪めるフィルターになっていたのだと理解できたのです。
その後のセッションでは、身体の中に「自信」を感じる場所を発見したり、怒りと傷つきを感じ、表すことによって「自信」をしっかりと自分の中に確保する作業を行いました。
私にとってカウンセリングは、他者の目を通して、新しい自分を発見する体験となり、カウンセラーとしてだけでなく、クライエントととして、カウンセリングの良さを感じられる貴重な時間でした。