同業者の集まりや勉強会で、たまに「先生の論文、読みました」などと声をかけてもらえることがあります。
そのとき、執筆者本人は、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい気持ちになるのですが、論文であれ、ブログであれ、伝えた言葉であれ、自分が発信したものは、誰かの元に届くものなのだなぁと思います。
論文だけを書いていた頃は、あまりそんなふうには思えず、時間と労力をただ消費するだけの作業のように思えていました。
(専門誌への掲載が決まるまでに時間がかかるすぎるからかもしれません)
でも、最近になって、世に出た論文から、いくつかの縁がつながり始めています。
プライベートで受けた相談ごとをきっかけに書いた論文が、仕事につながったり。
投稿前の論文を読んでくれていた人から、雑誌に載せる記事の執筆を依頼されたり。
論文を読んでくださったことが縁で、SNSを通じて友人ができたこともありました。
発表した直後に特段、反響や感想を寄せられることがなかったとしても、誰かの記憶に残っていく手仕事というのは、思いの外たくさんあるのかもしれません。
自分が生み出したものが、めぐりめぐって誰かの元に届くなら、時間をかけることや待つことは、決して無駄でも逃げでもないのだと思います。
今、多くの人が足止めを食い、思うように進めないと感じているのではないでしょうか。
でも、この時期に植えた種が、いつか大きく花開くことがあるかもしれません。
地球上で風が起こる場所は、一体どこなのかわからないけれど、自分の作品に限って言えば、私たちは自らの手で風を起こすことができるのです。
止まったように見える時間の中で、動いているものがある。
私自身もこの事態を受け入れるのにしばらく時間が必要でしたが、可能性は目に見えないけれど、 動き続けることはやめないでいようと、少しずつ思えるようになってきました。
新型コロナウイルスによる影響は、長期化が予想されますが、こんなときだからこそ、可能性の種をたくさん植えていきましょう。
自分自身への励ましと、必要な誰かにも届くように願いながら書きました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。