Talk to Your Heart

〜自由が丘カウンセリングオフィスのblog〜

感謝を伝えるのが怖い:無防備さと傷つきの狭間で

先日、コロナ禍でなかなか会う機会のない両親に手紙を書いてみました。

近況の報告と、感謝を伝える手紙です。

面と向かっては言えないことも、手紙だと書けるのがいいですね。

私が両親に感謝を伝えるのが苦手なのは、照れ臭いだけではありません。

AEDPの理論を学んで、腑に落ちたことですが、「心からの感謝を伝える」というのは、その相手に対して心を開き、自分が無防備な状態にならなければできないことです。

私にとって「親に感謝を伝える」ことは、彼らに対して無防備になることであり、これまではそれが「保っておきたい境界線が揺らぐ体験になる」ことが多かったのです。

もう少し書くと、「私が感謝を伝えると、親から私に対する要求を引き出してしまう」という感覚がどこかにあり、それが怖かったり嫌だったりして、10ある感謝のうち、3くらいまでしか伝えないことで、自分を守っているところがありました。

「心の中では10感じているのだから、親不孝じゃない」と自分に言い聞かせてきましたが、ここ最近は少し、心に着せていた鎧を外すことができつつあります。

「感謝しているなら、これくらいしろ」などと、親が私に要求していたわけではありません。

しかし、私が地元を離れたことを、両親はとても寂しがっており、ことあるごとに「帰ってこないのか」と訊かれました。

そのせいか、もっと他の理由もあってか、なんとなく私の中に、「感謝しているなら、戻ってきてほしい、なぜそばにいてくれないのか」と言われるのを警戒している自分がいるのです。

感謝の気持ちを素直に表せないのはつらいことでした。

でも、その要求を肌で感じ取って、「親不孝をしているという罪悪感」や「両親への怒り」を感じるのも嫌だったのです。

こういう気持ちを感じたくないという気持ちは、まだどこかにあります。

だからこそ、若干のタイムラグがある手紙という方法をとりました。

反応がダイレクトに帰ってこない分、心の準備ができるからです。

地元を離れた時間も長くなって、両親の要求自体が薄まってきているのも感じるようになり、前よりも、素直な気持ちを伝えても大丈夫かなと思えるようになりました。

心の片隅にずっと置いておいて感謝を、ようやく伝えられると、ホッとするような感覚もあります。

感謝を伝えるのが怖い。

こんな気持ちって、なかなか人とは共有できないものかもしれません。

でも、このブログを読んでくださっている方には、届く内容なのかもしれないなと思い、書いてみました。

感謝が、要求や攻撃を引き出すと感じるとき。

愛情が、支配を引き出すと感じるとき。

優しさが、搾取につながると感じるとき。

人は、感謝や愛情や優しさが、どんなによいものだとわかっていても、それらを自分の中に押し込めたり、相手から受け取ることを拒否してしまったりします。

いい感情・悪い感情というものが存在するというよりも、その感情が、その人にとってどんな体験を結びついているかによって、その人にとっての感情に対する評価や認識が変わる。

人の心の中では、こういうことが起こっているのではないかなと思うのです。