心理学者のP. Ekmanは、「顔は感情の舞台である」と言った。
カウンセリングでも、感情と切り離された言葉の代わりに、真の感情を伝えてくれるのは、顔である。
眼差し。噛み締められる顎。引き結ばれる唇。寄せられる眉根。こぼれ落ちる涙。ため息。
クライエントの心模様が、カウンセラーには見える。
一生懸命に、悲しみを覆い隠そうとする笑顔はとても美しい。
顰められた眉に見える困惑や心細さに震える瞳は、支援者側を奮い立たせる。
「この人のためにできることは何か」を真剣に心に問かけさせる。
だから、どうぞ、せめてカウンセリングの場では、顔に語らせることを許してあげてください。
感情と必死に戦っている人の表情は、決して滑稽なものではない。
感情のせめぎ合いを正直に映し出す人の表情は、人の胸を打つものです。
冒頭、彼女の瞳によぎる動揺と困惑、心細さ。
歌い出す前、目を閉じた彼女の心にあったであろう覚悟。
浮かんでは消える痛みと悲しみ。
それを覆い隠す厳しいまなざし、閉じられる瞳。
堪えきれずに溢れる涙。
時折、湛えられる笑顔。
一人の女性としての明菜さんと、表現者としての明菜さんの存在そのものがせめぎ合うようで、見ていると胸が張り裂けそうになるのに、決して目をそらすことができない。
彼女がとても美しいから。
そして、彼女を傷つきのなかに、一人にしておくことができないと思うから。
ただ美しいだけの映像でもないのも事実です。
二番に入る直前の瞳によぎる移ろいは、意識が飛びそうなんじゃないかと気が気でなくなる。
彼女の心の中に吹き荒れる暴風が、一瞬垣間見えるような気がする。
最後に、自分の頭を小突きながら見せる笑顔はあまりにも健気で、見ている方が涙してしまいます。
この明菜さんを美しく愛おしいと思った人は、きっと多いことでしょう。
でもこの美しさは、せめぎ合う感情と戦うどの人の顔にも見られるもので、その愛おしさも、見つめる側にきっと、こみ上げるに違いない気持ちなのです。