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〜自由が丘カウンセリングオフィスのblog〜

映画「わが母の記」:愛されていたと知るのに遅すぎることはない。

映画「わが母の記」は、大好きな映画の一つです。

母親に捨てられたと思っていた主人公が、認知症の症状が進行していく母にかかわるうちに母の本当の思いを知り、ぎこちないながらも歩み寄り、そして、母が亡くなるまでの物語。

愛されていたことを知るまでの親子は、見ていて切なくなるような素っ気なさです。

自分を捨てた相手、自分を愛していないだろうと思っている相手に接するときは、こんなふうに自分を守らなければやっていけないものです。

しかし、物語の中盤で、子どもの頃の主人公が、母を思って書いた詩を、本当は母がずっと大切に持っていたと知るのです。

子どもの頃に求め続けた「自分を愛してくれる母親」と、主人公が出会う瞬間は、とても感動的です。

ここで起こることは、カウンセリングの場面でも起こります。

“真の他者体験(true other experience)”と呼ばれる体験です。 

自分が本当は愛されていた。

それに気づいたときは、言葉もなく、ただただ感情が溢れ出し、涙が流れます。

その感情、その涙によって、クライエントは時間の隔たりや距離の隔たりを超えていくように見えます。

過去の自分が欲しかったものを手に入れるのに、遅すぎるということはないのだなぁと感じます。

愛されていたと知ったら、もう卑屈でそっけない自分ではいられません。

主人公も、ぎこちないながらも、母親に愛情を示し始めます。

自分のなかにある母親への愛情を、自分でも認め始めます。

彼の中で凍りついていた愛が、息を吹き返すのです。

もはや、素っ気なさという防衛で、自分を守る必要がなくなったということもできるでしょう。

愛している人に、愛していると言えないつらさ。

愛している人に、愛していると言える幸せ。

カウンセリングでも起こるこの美しいプロセスは、冬の後に訪れる春のように、人間の持つ愛の生命力を感じさせてくれます。

 


『わが母の記』予告編