先日、こちらの記事を書きましたが、私たちを苦しめる恥という感情には、下の記事で紹介した「自己愛的な他者から投げ込まれた恥」に加えて、「他者から直接辱めを受けたわけではないけれども、自分の内側から生まれる恥」があると思います。
後者の恥の感情は、近年、「感情をしっかりと受け止めてもらったり、認めてもらったり、和らげてもらったりすることができなかった結果、個人のなかに生まれる無価値感・無能感」と、定義されるようになってきました。
生きづらさを抱える多くの人が、この恥の感覚を抱え、苦しんでいます。
自分の感情をしっかりと受け止めてもらい、認めてもらい、和らげてもらう。
これは親たちが、誰に教わるわけでもなく、日々子どもと向き合いながら自然とやっていることですが、親たち自身が孤独を感じていたり、経済的に困窮していたり、精神疾患やトラウマを抱えていたりすると、こうした役割を十分に果たせないこともあります。
代わりに、怒鳴りつけたり、泣き続ける子どもを無視したり、その場を立ち去ってしまうこともあるでしょう。
そうすると、子どもはこう考えます。
「自分が悪いから、お父さんは怒鳴るんだ」
「お母さんが振り向いてくれないのは、自分に愛される価値がないからだ」
「お父さんがいなくなってしまったのは、自分が出来損ないだからだ」
この”自分が悪い”、”愛される価値がない”、”出来損ないだ”という無価値感や無能感を、shame(恥)と呼ぶというのは、何だかピンとこないという人もいるかもしれません。
しかし、こうした自分自身に対する無価値感や無能感自体は、カウンセリングの中で本当によく語られます。
カウンセリングを受けていない人でも、この感覚に馴染みがあるという方も、多いのではないでしょうか。
こんな感覚を持ちながら生きているということすら、人と違っているようで恥ずかしく、日常の場面で、簡単に他の人と分かち合える気持ちでもないため、恥は、沈黙の中でどんどん膨らんでいき、その人の自己イメージを蝕んでいきます。
「自分が悪かったんだ」
そう思うことで、子どもは大切な人との関係を守ろうとします。
自分自身が生きていくためにも必要なことで、いわば生存戦略の一つです。
しかしその裏側で、自尊心や自己肯定感といった、自信や愛されているという感覚、欠点はあっても十分な自分だ、このままの自分でいても大丈夫なんだという感覚が、知らず知らずのうちに、傷つき、傷み、粉々になっていくのです。
「自分が悪かったんだ」
「自分には愛される価値がない」
「自分は出来損ないだ」
今度、自分に対してそんなふうに思っていることに気づいたら、
「そうやって、大切な人との関係を守ってきたんだね」
と気づいてあげてください。
このメッセージは、確かに必要ではあったけれども、決して事実に即したものではありません。
「きみのせいじゃない」
「あなたは何も悪くない」」
「あなたには、ちゃんと愛される資格があるんだよ」
本来、こうしたメッセージに書き換えられるべきものです。
「自分が悪かったんだ」
と自分を責め続けてきた、あなたの中の小さい女の子、小さな男の子が、ちゃんと見てもらったことに気づいて、はにかんで笑ってくれるように。
そのためのお手伝いが、少しでもできればと思います。