熱く、大切な意味を持つ感情は、悲しみであれ、怒りであれ、震えやバイブレーションをともなって、身体の深いところからこみ上げてくるものです。
大切な人を失った悲しみ。
そこには深い悲しみだけではなく、その人を恋い慕い、求めてやまない愛もまた、同時にあるのだと思います。
ネパールの大災害に心を痛めている方も多いのではないでしょうか。
家の近所でも、交通死亡事故が起きたようで、道路の脇に手向けられた花たちに、亡くなった方への愛と、残された人たちの悲しみがあふれているのを感じる日々です。
深い悲しみの裏側に間違いなくあるのは、こんなにも自分にとって大切な人がいた、という事実。
こんなにも私は、あの人を愛した、愛させてくれた、という歴史。
悲劇は、もしかすると、自分自身が愛にあふれた存在であったことに、気づかせてくれるものでもあるのかもしれません。
失ってしまった。何もかもなくなった。もう二度と戻ってはこない。
胸に開いた空洞に、ただ慟哭だけが響いているようなときでさえ。
こんなにも悲しくてつらいのは、愛していたからだと思えたら、少しだけ、希望と自分自身を取り戻して、未来を信じることができるような気がします。
愛する対象を失っても、愛する力は自分の中に息づいている。
そしてその力はまぎれもなく、失った大切な人が自分に残してくれたものなのです。