向き合ってもらえない
自分を見てくれない
ずっとひとりぼっちだった
カウンセリングの場では、そんな訴えをよく耳にします。
向き合う、見る、一緒にいる。
物理的なことではなく、心のありようがいつも問題になっているように思われます。
そして、こんなふうに訴えるクライエントから教えられることは、「向き合ってほしい」と訴えている相手に応えることは実は二番目であることが多く、実際にはまず向き合わなくてはいけないのは、自分自身とであるということです。
上記のような訴えを、もし自分の大切な人から向けられたら、相手に応えるためにも、まず自分自身のことを振り返るとよいかもしれません。
例えば、「よい母親」であろうとするばっかりに、自分のだめなところや自分のいやなところから目を背けようとしていなかったか
「よい恋人」であろうとするばっかりに、都合の悪いことや気がかりなことに対してなかったように振る舞ってこなかったかと、まず、自分に訊いてみるのです。
つまり、相手をひとりぼっちにしないために大切なことは、聴き手の側が、自分自身の体験に開かれていることが必要なのです。
「ちゃんと見てくれてない」と訴えてくる相手に、いかに自分が相手のことを考えているかを伝えたくなるのは当然のことです。
壊れかけている関係を、誰しも早く修復したいと願うからです。
しかし、そんなときほど、いったん立ち止まって、なぜ相手がそう感じてしまったかを考える“寄り道”が必要です。
もしかしたら、相手が悩みを抱えていたとき、自分に自信がなかったために何も言ってあげられなかった経験が思い出されるかもしれません。
役に立たない、と幻滅されるのが怖い。そんな気持ちから、かかわることがためらわれるのは、よくあることでしょう。
もしそうなら、相手のことを考えていると伝える前に、
「ちゃんと見ているつもりだけど、時々、自分が本当に役に立てるのかなって自信が持てなくなって、何も言ってあげられないことがあるんだ」
と打ち明けるほうがずっと、相手は向き合ってもらったと感じることができると思います。
わかってもらおうとする努力をいったん手放して、自分の弱さを率直に相手に示すこと。
関係が大切であればあるほど難しいですが、実はとても重要なことです。
気をつけなくてはいけないのは、「よい母親」「よい恋人」であろうという気持ちそのものは、相手のためであるにもかかわらず、その努力によって、自分の一部をないがしろにし続けていると、相手との関係までもが破綻しかねないということです。
人は、悩んでいるとき、心細いとき、不安なときほど、誰かの存在を必要とします。
そして、そんなときに本当に、その人の力になれるのは、自分の悪いところに目をつぶっていつも「良く」「正しく」あろうとしている人ではなくて、自分のだめなところ、弱いところをよく知っていて、その体験を人とわかちあえるくらいに、自分自身に開かれた人なのだろうと思います。