この映画を観たのは今年の春だった。
ティモシー・シャラメ&スティーヴ・カレルが唯一無二の親子愛をつづる/映画『ビューティフル・ボーイ』予告編
「すべてをこえて愛してる」
映画を観た後、このキャッチコピーがなんだか苦しかった。
息子に必要だった言葉は、「愛してる」だったのだろうかとずっと考えていた。
父親がたった一言、「すまなかった」と言えたなら、この子はこんなに苦しまなかったんじゃないか。
今はそう思う。
(以下、ネタバレあり)
映画の中で、父親はドラッグに溺れる息子を、何とか更生させようとする。
その過程で、親子はぶつかり合うのだけれど、父親の口から最後まで出なかった言葉が、「すまなかった」の一言だ。
すまないという気持ちがあるから、父親は息子の更生を信じ続けたんじゃないか。
そんなふうにも読めるかもしれない。
それでも、言葉にしなければ、その気持ちは届かない。
子どもに「愛している」というよりも、自分の非を認めて「すまない」ということの方が、ずっとずっと難しい。
でも、子どもは、親が間違いを犯すような人間だとは思っていないからこそ、その一言には重みがある。
自分の怒りを受け止めてもらえたという気持ちになる。
子どもに「愛してる」だけでなく、「すまない」と言える親であろう。
妻に「愛してる」だけでなく、「すまない」と言える夫であろう。
大切なのは、正しくあることよりも、優しくあることだ。
ほんとうは、そんなことを教えてくれている映画のような気がした。