人と人との絆のベースにある「愛着」について学ぶと、私たちがいかに、大切な人とのつながりを維持しようとして、奮闘してきたのかがよくわかります。
自分の感情や欲求を表すことで、大切な人とのつながりが失われてしまうかもしれない。
そんなふうに感じると、私たちは、自分の感情や欲求を犠牲にしてでも、大切な人とのつながりを守ろうとします。
でも、本来、自分がコントロールできるのは、自分のことだけです。
どんなに感情や欲求を犠牲にしても、置かれた状況や相手の都合で、何としても守りたかった絆が、いとも簡単に絶たれてしまうこともあります。
特に子どもの頃は、まだ、大人ほど状況や環境をコントロールできる力を持っていません。
そのため、どんなにいい子でいても、両親が離婚してしまったり、どうしても手がかかる下の子どもに愛情を奪われたように感じたり、不慮の事故で親を亡くしてしまうことがあります。
そんなとき、子どもは、子どもなりに一生懸命、その悲劇の理由を探そうとします。
理由なく、そうした悲劇が起こるということが、まだ、理解できないのです。
そして、そんな子どもの心に、周りの人たちもなかなか気づくことができません。
子どもがそんなことまで考えているわけがないと思うのです。
しかし、子どもは大人が思うよりたくさんのことを“感じて”います。
そして、その“感じたこと”の落としどころを、自分で探そうとするのです。
子どもが利用できるリソースは、非常に限られています。
問題を解決するのも自分。問題の原因を作るのも自分。
私たちの誰もが、子どものうちは、そんな世界を生きています。
それまで、どんなに自分の感情や欲求を犠牲にしていたとしても、大切なものを失ったショックのほうが大きくて、腹を立てることもできず、「自分が悪かったんだ」という結論を導き出してしまう子どももいます。
自分が悪かったから、お父さんはいなくなってしまった。
妹ばかり可愛がられるのは、自分が悪い子だからだ。
自分が嘘をついたから、バチが当たって、もう二度とお母さんに会えなくなったんだ。
こんなふうに、子どもが心を痛めていることを、大人はどうやって知ることができるのでしょうか。
子どもは、なかなか自分の気持ちを言葉にすることができません。
表情や行動、人とのかかわり方、体調をよく見ていてあげることが大切です。
そして、どこか自分を戒めるような様子や、自分を責めるような言動、自分を大切にできていないようなそぶりが見られたら、失ったつながりについて、一度きちんと話題にすることも必要です。
言葉で気持ちを話せなくても、自分を気にかけてくれる大人の前で、泣いて悲しみを表せたり、スカートの裾をぎゅうっと握って寂しさを表せたり、唇をかみしめてつらさを表せたら、何も感じていないような顔をして無気力に過ごすよりずっと、その子の心にはいいのです。
自分の気持ち、自分の感情、自分が「〜してほしかった」と思っていたことは、誰かにこうして耳を傾けてもらえて、誰かにこうして見てもらえて、誰かにこうして気にかけてもらえるものなんだと、子どもが体験することができるからです。
それから、はっきりとこう伝えることも大切です。
「あなたは悪くないよ」
「あなたはひとりぼっちじゃないよ」
言葉によって、体験に“かたち”が与えられます。
誰かに聴いてもらえて、見てもらえて、わかってもらえる。
これを「ひとりじゃない」と呼ぶんだ。
聴いてくれて、見てくれて、わかってくれる人がいる。
だから「自分は悪くない」んだ。
つながりを失い、孤独の中で自分を責めた傷跡は、もう一度つながりを感じ、感情を受け止められ、体験を理解してもらうことで、ようやく癒えていくのです。
安心して、感情を感じさせてくれた誰か。
そんな存在があなたの人生の中にあるなら、それはとても大切な宝物だと思います。