ニンニのエピソードを、ハフポストの國崎さんに取材していただきました。
土曜日にその記事が配信され、再び多くの方が元ツイートを見てくださっています。
驚いていますし、怖くもありますが、ありがたいことです。
ハフポストの國崎さん(@machiruda0702)が、ニンニの物語のツイートを記事にしてくださいました。(國崎さん、その節はありがとうございました😊)
— shiho📜自由が丘カウンセリングオフィス (@emotion_lab) 2021年6月4日
Twitterってすごいなと驚いています。
よろしければぜひご覧ください❣️ https://t.co/f01A3Lcjwe
記事では、怒りだけでなく、その背景にある「有害な恥(toxic shame)」という感情について触れ、「自分を攻撃してくる相手を納得させるために戦う必要はない」という言葉の意図についても、少し補足をさせていただきました。
実は、この言葉は、梨泰院クラスという韓国ドラマの主人公のセリフに影響を受けたものでした。以前、こちらの記事でも触れています。
有害な恥による影響は、私たちの生活の中に当たり前のようにあって、ありすぎて、意識することすら難しいものです。
ミスや失敗をした人物をみんなの前で吊るし上げる。
周りから変わっている、異質だと思われている人を無視する、仲間外れにする。
行為ではなく個人全体に対する評価を下す。(「お前のせいだ」「お前が悪い」など)
この有害の恥による影響が、深刻なものとなってしまうのは、恥を感じる体験について語ることそのものが、恥を喚起するためです。心理学者のブレネー・ブラウンは、「恥は、沈黙と秘密と決めつけ(judgement)のシャーレの中で培養される」と言いました。
吊るし上げられる。仲間外れにされる。「お前が悪い」と言われる。
それだけ十分屈辱的で惨めなのに、それを言葉にするなんて耐えられないと、沈黙してしまうのも当然です。
「いじめられているなんて知られたら、もっとバカにされる」と思えば、いじめられていることは、その人にとってバレてはいけない秘密になります。
「でも、あなたにも悪いところがあるんじゃないの?」という決めつけ(judgement)は、勇気を振り絞って助けを求めようと開きかけた口を、二度と開かないようにするでしょう。
しかし、こうした有害な恥から来るつらさや絶望感は、多かれ少なかれ、誰もが体験したことがあるのではないでしょうか。
そのつらさを通して、人を思いやったり、誰かを理解したりすることもできるのではないかと思います。
最近では少しずつ、こうした有害な恥による心の健康への影響を説明する書籍も、目にするようになりました。下記にいくつかご紹介いたします。
「私にも、僕にも、この有害な恥に苦しめられた経験があります。なかなか言葉にならないものだけど、あれは本当につらいよね」
「よくそのつらい体験を打ち明けてくれたね。どんなにか、勇気のいることだったろうと思う。話してくれてありがとう」
誰かのつらさに、そう言って寄り添ってくれる人が一人でも増えたなら、こんなにうれしいことはありません。