Talk to Your Heart

〜自由が丘カウンセリングオフィスのblog〜

emotional abuse:見えにくく、語られにくい痛み

emotional abuse、つまり、感情面での虐待は、体験している本人にも、なかなか言葉にしにくいものです。

emotional abuseの多くは、ふたりの人物の間で起こる感情調整の失敗で、親をはじめとする大人が、何らかの要因によって子どもの感情に適切に対処してあげられないときに起こります。

まだ言葉での説明が流暢にできない、非常に幼いときに起こるというのもそうですが、「自分の感情が正しく扱われていない」という体験は、あまりに感覚的なので、言葉になりにくいのです。

だから、クライエントさんがその体験を言い淀みながら話されるとき、カウンセラーはその輪郭をなぞるように、あえていろんな言葉を投げかけてみます。

「それは、自分の大切なものを横から奪われるような体験ですね」

「親がよしとするあなたしか、そこには存在できないような。それ以外の部分を見せると、無視されたり、なじられたり、否定されたりする」

「本当はあなたのほうが子どもで、守られなくてはいけない立場なのに、いつもあなたのほうが心を砕いてきた」

どれかの言葉にクライエントさんが頷いてくれたなら、それは、クライエントさんとカウンセラーの間の共通言語になります。

共通言語が生まれることで、クライエントさんの苦しみの輪郭がはっきりします。

自分の苦しみがきちんと見えるものになったこと自体に、ほっとしてくださる方もおられます。

自分のニーズを表したときに、怒鳴られたり、ヒステリックに怒られたりするだけが、emotional abuseではありません。

自分の体験に心を寄せてもらえないこと(「何がそんなに悲しいのか、まったくわからない」という顔をされる)。

自分の感情を適切に調整してもらえないこと(感情を一緒に調整してくれる人の不在)。

感情を馬鹿にされたり、無視されたり、「そんなのはおかしい」と眉をひそめられること。

emotional abuseを生き抜いてきた人たちの戦いは、命がけだったと言っても過言ではないといつも思います。

心のある部分を隠しながら、硬く凍りつかせながら、壊死寸前になりながら、自分の心を否定し、侵害し、搾取し、飲み込もうとするものから守り抜く、孤独な戦い。

カウンセリングは、そんな孤独な戦いに対する労いから始まることも多いです。

まだあどけない子どもだったクライエントさんが、その小さな両手で必死に守り抜いた心を、そっと見せてくれるとき、心に防衛という機能が備わっている意味と、その大切さが本当によくわかるのです。