以前、「自分はダメだ」「自分は無能だ」「自分には愛される価値がない」といった、有害な恥という感情に対抗するには、怒りと思いやり、誇りといった感情が必要であるという記事を書きました。
しかし、日本人は、恥に対してもう少し静かで、でも力強い感情状態をもって対処しているようにも思われます。
怒りとも思いやりとも、誇りとも異なる感覚。
それは、意地です。
自分に対する悔しさや、不条理な仕打ちにも歯を食いしばって耐えるような思い。
意地を要素分解すると、怒りや誇りが含まれているかもしれませんが、言葉が違う以上、そこには怒りとも誇りとも違う感覚がありそうです。
「馬鹿だ、無能だ」と罵ってくる親から、何とか自分の心を守ってきた人。
不遇な時代があっても、「こんなことでへこたれてたまるか」「自分はこんなふうに扱われていい人間じゃないはずだ」と自分を鼓舞してきた人。
真っ暗で孤独な世界にいるように思えても、「光が見えるまでは」と歩みを止めずに、自分を奮い立たせてきた人。
そうした方たちとお会いしていると、意地が、恥から心や尊厳を守る盾として機能してきたのを感じます。
怒りや思いやり、誇りといった言葉では捉えられなくても、何か大切な感覚。
それがこの人の心を守ってきたのだな、と思える、キラリと光る何か。
海外生まれの感情理論からも学びながら、私たち日本人の精神構造や、社会の在り方、歴史的な事実から学ぶことも、決しておろそかにはできないと感じます。