Talk to Your Heart

〜自由が丘カウンセリングオフィスのblog〜

痛みのそばには孤独と恥がある。

先日、こんなtweetをしました。

痛みのあるところに孤独があり、孤独があるところに恥がある。

これが、心の傷がかさぶたではなく、トラウマになってしまうメカニズムです。

つらい体験をして心が傷ついたとき、その痛みの中にひとりぼっちにされると、人は「こんなことで傷つく自分がおかしい」と自らを恥じ入らせます。

もしくは、その痛みに共感してくれる人が誰もいなくて、痛み自体をなかったことにされたり、「もっと大変な人はいる」と過小評価されたり、「それくらいのことで落ち込むなんて、情けない」「いつまで泣いているんだ、みっともない」など責められたりといった形で、周りの人から辱められるケースもあるでしょう。

いずれにしろ、痛みをひとりぼっちで抱えると、恥がその傷を覆ってしまいます。

傷口を覆った恥は、決して絆創膏のようには働きません。

傷口を雑菌から守り、自己治癒力を高めるというものではないのです。

恥に覆われた傷は、いつまで経ってもかさぶたで覆われることがないため、同じような状況に出くわすと、昔と同じように痛みます。

そしてさらに悪いことに、恥で覆われた傷口を、私たちは他者の目から隠そうとします。

「こんなつらいことがあってね」と打ち明けることができなくなるのです。

「こんなことで傷つくなんて、心が弱いと言われるに違いない」

「いつまで昔のことを引きずっているんだと、呆れられるだろう」

「こんな自分は、人に見せられない」

「どうせ誰も聞いてくれない。責められるのがオチだ」

こんな考えが浮かんで、どんなに心が痛く、つらいままでも、沈黙せざるを得なくなるのです。

カウンセリングでは、この痛みの周りにある恥と、孤独を和らげることが鍵になります。

痛みのそばに、孤独と恥が置かれてしまったことにも、もちろん理由があるのです。

まずは、その理由を一緒に確認することも大切でしょう。

「いじめられているなんて言ったら、きっと親に怒られる。どうしてやり返さないんだって。だから、親には言えなかった。でも、みんなから無視される自分が、すごく恥ずかしい存在に思えた」

ただ、沈黙の中で耐えることが、そのときの自分には精一杯の解決策だったのです。

昔の自分に「ああすればよかった」「こうすればよかった」などと言うのは、筋違いです。

そのつらい時間を耐えていた昔の自分に必要なのは、大人の自分からのダメ出しではなく、思いやりや敬意(「つらかったね」「よく耐えたね」という言葉)、ホッとできる場所(昔の自分を教室から連れ出して、安心できる場所へ連れて行くイメージ)、もしくは、昔の自分から恥を取り除いてくれる頼もしい、信頼できる存在です(昔の自分に、「恥ずかしいのはきみじゃなくて、きみをいじめた人たちだ」と、カウンセラーや大人の自分から伝える)。

痛みのそばには、孤独と恥がある。

その痛みを一人で抱え続けた理由にも敬意を払いつつ、恥と孤独の代わりに、これからは、誇りや思いやり、頼りにできる誰かの存在を置き続ける。

それが、カウンセリングの中でクライエントさんと一緒に決めることでもあるのです。