「一人ではここまでできなかった」
「ちょっと一人ではどうすることもできないと思ったので、専門家の手を借りようと思いました」
こうした言葉をカウンセリングで聞けると、私は、クライエントさんの中の勇気に出会ったように感じて、心強い気持ちになります。
AEDP(加速化体験力動療法)という心理療法でも、クライエントが専門家の支援を求めて、カウンセリングの門を叩くというその行動に、すでに変化の兆しがきらめいていると考えます。
誰かの手を借りるということは、恥ずべきこと・情けないことと捉えられがちですが、この前提こそ、まずは疑ってかかるべきものだと思います。
私たちはいつから、「それくらい一人でできないの?」という冷たい眼差しを、自分の中に持つようになるのでしょう。
「一人でできる」のは、そんなに立派なことなのでしょうか。
カウンセリングを受けることに限らず、他者の支援を受けるということは、自分の苦しみや痛みがある場所に、他者を招き入れるという行為です。
「わかってくれる人がどこかにいるはずだ・いてほしい」という希望や信頼なくして、できることではありません。
「カウンセリングは、問題のある人や心が弱い人が受けるものだ」などという風潮は、もういい加減アップデートされていくといいなと思います。
ちょっとした励ましがほしかったり。
ちょっと手を握ってもらいたかったり。
ちょっと背中を押してほしかったり。
そんな「ちょっと」が日常にあるだけで、心は元気になり、生き生きとしてくるものです。
反対に、今の世の中は、多くの人が「そんなことも一人でできないの?」という冷たい眼差しに支配されて、自分にも他者の中にもある「一人じゃできないから、手を貸してほしい」という気持ちに蓋をしてしまっているように感じます。
それは「甘え」で、「悪いこと」で、「弱いこと」なんだと。
だから、本来悪いことでも、弱いことでもない「手を貸して」という言葉を、やっとのことで口にするのです。
ですが、本当は、「手を貸して」と伸ばした手を誰かがとってくれたときこそ、「自分は助けてもらえる存在なんだ」という自己価値に対する信頼が深まり、「世界は優しくて安全な場所なんだ」という世界への信頼感も深まるのだと思います。