感情を、みんな、どんなものとして捉えているんだろう?
これはいつか、いろんな人に訊いてみたい質問です。
感情は数値化することが難しいため、心理学の世界でも、ずいぶん長い間、行動や言葉を媒介させて感情を捉える・測定するという方法がとられてきました。
表情の研究や生理学的な指標の発達に伴い、感情を直接的に扱えるようになってきたのは、心理学の歴史でもごく最近(1990年代前後)と言われています。
話は変わりますが、占いやタロットカードの世界では、思考は風、感情は水、身体を土に例えると聞いたことがあります。
感情を水に例えるという比喩は言い得て妙だと思います。
水は、気体にも、液体にも、固体にもなります。
例えば、愛着軽視型(回避型)のアタッチメント・スタイルの人にとって、感情とは観念として言葉で語るためのもので、水のように救ったり、氷のように噛み砕くものではないのかもしれません。
とらわれ型(両価型)の人には、感情は、自分を飲み込んでしまう洪水のようで、誰かにその堤防やダムになってもらえなければ、大変なことになってしまうと感じられるものなのかもしれません。
無秩序型の人にとっては、感情は凍りつかせて冷蔵庫にしまっているもので、触れたらピリッと痛みが走るし、放っておいたらいつの間にか溶けて、蒸発し、どこかに消えてしまう、得体の知れないものなのかもしれません。
安定型の人には、感情という水を抱えておくための水がめ(自分の身体や、他者や世界との安定した関係)があり、感情を気体にも、液体にも、固体にもしながら、上手に使っているというイメージが湧いてきます。
誰もが子どもの頃は、とにかく泣いて泣いて、まさに感情で“水びたし”の状態です。
そこで、「よしよし」とか「大丈夫よ」と、大人になだめてもらう。
大人が、子どもの水がめになってあげるような感じです。
そうやって、子どもは感情とのかかわり方を学んでいきます。
子どもにかかわる大人には、子どもの中にしっかりとした水がめを作ってあげる責務があるのです。
水に例えて感情の話をするのは、わかりやすいので、気に入っています。
皆さんは、感情をどんなものとして捉えていますか?