カウンセリングのさまざまな本に「やってはいけない」と書かれていること。
でも、多くの人がやってしまうこと。
それは、judge(評価する、ジャッジする、良し悪しで判断する)という行為である。
私たちはつい、自分や他者の行為を「良いか、悪い(ダメ)か」で評価しがちだ。
「ジャッジ」に対する処方箋はいろいろある。
「ありのままの自分を受け止めよう」
「マインドフルな態度を養おう」
「自分に思いやりを向けよう」
「自分を愛そう」
だけど、こうした処方箋はいつの間にか単なる「標語」になり、私たちはこれまでと同じように自分や他者をジャッジする日常に戻ってしまう。
そこで、もう少し、細かいステップで「ジャッジ」に対する対策を考えてみよう。
1. 「ジャッジしている自分に気づく」
まずは、「ジャッジしている自分に気づく」ことだ。
認知行動療法なら、自動思考に気づくこと。
マンドフルネスなら、気づきを高めること。
嫌な気持ちになって、自分がまたジャッジしていると気づける場合もあるだろう。
モニタリングすると言ってもいい。
最初は意識したり、人から教えてもらう必要もあるかもしれないが、「ジャッジしている自分」に気づくことは大切な第一歩だ。
2. 「ジャッジ」は「問い」に切り替える。
次に、「良い・悪い(ダメ)」でジャッジしそうになったら、それを「問い」に切り替えてみよう。
「あんなことをやるなんて、自分はダメだ」→「どうしてそうしたんだろう」
「こんな気持ちになるのは良くない」→「どうしてそんなふうに感じたんだろう」
「こんなことしても意味ないかな」→「それをやることで、何を達成したいんだっけ」
頭ごなしに、何でも「ダメだ」とジャッジする上司や先生には、「なぜですか」と理由を尋ねたくなるものだ。
「ジャッジ」には先がない。検討の余地がないのだ。
「それじゃダメだよね」と言ってしまっては、そこから何も学べない。
・なぜそう思うのか
・なぜそうしたかったのか
・そう感じた背景に何があったのか
「ジャッジ」を「問い」に変えるだけで、失敗は学びになり、未来の糧になる。
良いか、悪いかの二択しかないとき、考えることは少なくて済む。
良いことはやれば良いし、悪いことはやらなければいいからだ。
物事にこうした姿勢で向き合うと、省エネにはなるかもしれないが、意味や理由、新たな可能性は生まれにくい。
また、人の脳は、思い浮かんだ情報に対してアンテナを張るという性質を持つ。
そのため、「自分はダメ」と思ってしまうと、脳は途端に「自分はダメ」という情報を集め始めるのだ。「あのときも、このときも、自分はダメだった」と。
どうせなら、「自分はダメ」という磁石ではなく、「なぜ」「どんなふうに」「何を」という磁石を使って、自分の言動の意味や理由、新しい可能性を探索しよう。
SHOWROOM社長の前田裕二さんの著書『メモの魔力 The Magic of Memo』や、刑務所内で行われる矯正教育を取り上げたドキュメンタリー映画『プリズン・サークル』でも、このジャッジと問いの違いが重要な鍵となっている。
ジャッジを問いに変える。
ただそれだけのことで、個々人が自分自身を見つめるきっかけが生まれ、自分自身と、他者の中に眠る可能性を掘り起こすことができるのだ。