カウンセリングをしていると、自分の体験や自分の気持ちから離れて、「ああでもない、こうでもない」と考えるクライエントに出会います。
そんなときは、カウンセラーとしての私の胸には、ふたつの思いがあります。
一つは、「頭で考えることから、心で、身体で感じる方に向かいたい」という思い。
もう一つは、「あぁ、この方はこれまでも、こうして考えることで、辛い状況を生き延びて来られたんだな」という思いです。
生き延びたという表現は少し大げさに聞こえるかもしれません。
その方にとっての対処パターンと言い換えてもいいと思います。
確かに、考えすぎると、自分が感じていることがわからなくなって、堂々巡りになってしまうものです。気持ちも落ち込む一方で、そんな自分が嫌になってしまう人も少なくないでしょう。
でも、そんなふうに「考えすぎる自分」が生まれてきたのには理由があります。
その自分が必要だった時期が、人生のどこかできっとあったのです。
特に、まだ物事を多角的な視野からみることのできない子どもは、親が不機嫌になっている理由を一生懸命考えます。
例えば、母親の機嫌の悪さが、ストレスフルな職場で嫌な思いをして帰ってきた場合であっても、「自分が何かしてしまったのではないか」「あぁ、そういえば、おもちゃをあったところに片付けなさいといつも言われているのにやっていなかった」「お母さんはきっとそのことを怒っているに違いない」「いや、でも、それは少し前の話なんだけどなぁ」などと考えます。
核家族化やSNSによるコミュニケーション手段の発達によって、母親の不機嫌の理由を子どもが漏れ聞くこともなくなった現代では、ますます、「考えすぎてしまう人」が増えてしまうかもしれません。
母親がなんだか不機嫌そうで不安に思っている自分の心に注意を払うことよりも、いつもの優しいお母さんに戻ってもらうために、どうしたらいいのかと考えることが日常化すると、自分自身の気持ちを感じることがどんどんおろそかになってしまいます。
そして、このパターンは他の人とかかわるときの雛型になっていきます。
いつも人の気持ちを気にして、自分の気持ちを後回しにしているせいで、対人関係で疲れや楽しめなさを感じ、人とかかわるのが億劫になってしまうのです。
もちろん、このパターンを修正することは可能です。ただ、そのためには意識的に、自分の心に気を配る練習することが必要になります。
それを一緒にやることが、カウンセリングです。
自分の気持ちを感じてもらうために、日常生活でこんな宿題を出すこともあります。
「考えすぎる自分」に気づいたら、心の中で次のように言ってみてもらいます。
「今までたくさん頑張って来てくれてありがとう。でも、そろそろ、違うパターンも取れるようになっていきたいと思ってるんだ」
「きみがまったく必要じゃなくなったというわけじゃないけど、自分の気持ちにも耳を傾けてみたいんだ。ずっと無視して来てしまったからね」
「だから、ちょっとだけ考えるのをお休みして、自分の心や身体に聞いてみる時間をとってもいいかな?」
自分と対話をするというのは、慣れないうちは、かなり変な感じがすることだと思います。でも実はこれが、とても効果のある方法です。
もし、あなたの中にも「考えすぎる自分」がいるとしたら、そんな自分のことを嫌うのではなく、これまでの労をねぎらい、感謝の気持ちを伝えてください。
その上で、今までとは違う自分になることに協力してもらえるといいなと思います。
考えすぎる自分も、その人の大切な一部です。