目は口ほどにものを言う、という諺もあるように、時に私たちは、姿勢、仕草、表情、まなざしなどによって言葉より多くを語ったり、唇には嘘を乗せ、瞳に真実を映し出したりしています。
今回の記事では、相手の本心を見抜く方法が紹介されていました。
ポイントは、言葉、表情、仕草といった一つひとつの要素に注目するのではなく、同時に示される複数のコミュニケーション・サイン(例えば、言葉、表情、声のトーン、仕草など)のズレに注目することです。
心理療法やカウンセリングの場においても、こうしたズレは介入のポイントになることが多いような気がします。クライエントは嘘をついているという意識はあまりないかもしれませんが、意識と体験の間のズレが、ノンバーバル・サインのズレとして現れているのです。
そして、私たちは自覚している以上に、この不協和に敏感だと思います。
「嘘をつくのは難しいことなのです」と、ハーバード・ビジネススクールのAmy Cuddy教授は言います。
嘘をついているとき、つまり、何かを語ることで何かを隠しているようなとき、それがよほどシンプルなものでない限り、私たちは同時に罪悪感やうしろめたさも抱え込むことになります。これらを漏らすことなく抱えておくような力は、私たちの誰も持つことはできないようです。
この“漏れ出すもの(=leak)”を見逃さないための最も単純な方法は、相手の“言っていること”と“やっていること”のギャップを見つけることです。
もしも、夫が「あぁ、明日の出張はゆううつだ…」などと言いながら、口笛を吹いてキャリーバックに荷物を詰めているとしたら、妻は何かおかしいと思うでしょう。
このように、建前が言葉に、本音が仕草に現れます。
表情(facial expression)の中でも、口の形はより意識しやすく、目の表情はより無意識的です。
口が笑っていても、まなざしは鋭い。微笑みを湛えていても、瞳は悲しげ。
そんなギャップに注目するのも有効でしょう。
また、ハーバードの心理学者Nancy Etcoffは、言語処理のプロセスに障害を持つ人のほうが、そうでない人々よりも、相手の嘘を見抜くことに優れていると指摘しています。言語処理能力が障害されていることによって、言葉によるまやかしにとらわれることがないためなのでしょう。
コミュニケーションとは、音楽のようなものだと思います。
言葉とノンバーバルなサインが織りなす音楽のなかで、私たちはつい歌詞に聞き入ってしまいがちですが、よくよく耳を澄ますと、歌詞の背景にベースやドラム、ピアノ、時に沈黙が奏でるメロディが流れています。
「愛している」と言いながら、背後には別れの曲が流れている。
そんなこともあるでしょう。
本当は聴こえているのかもしれません。
でも、無視していれば、いつか曲調も変わるかもしれない。
そんな一縷の望みや、相手を失う恐れから、知らず知らずのうちに、背後に流れるメロディのボリュームを下げてしまう。
人の心も、コミュニケーションと同じくらい複雑なものですから、これくらいのことはやってのけているような気がします。