昨日は、阪神淡路大震災から20年という節目の日でした。
河瀬直美監督の映画『沙羅双樹』の中のこんな言葉を思い出していました。
「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、ほいから忘れなあかんこと」
震災という悲劇に限らず、人生を歩んでいく上でも必要なことでしょう。
忘れてはいけないという思いの一方で、忘られることの健全さや、忘れられないことの問題というのもあるような気がします。
PTSDには「忘れられない」ことの苦しみがあります。
認知症には「忘れてしまう」ことの哀しさもあれば、「忘れてしまう」からこその優しさも生まれます。
私たちの脳は、日々膨大な記憶を整理し続けています。
強烈な出来事を体験したときには、フラッシュバックのような誤作動を起こすこともありますが、それも、私たちの身体と心を癒し、困難を乗り越え、健康であり続けるための大切な営みなのです。
災害や犯罪の被害に遭った人は、回復の過程でもう一度その体験を繰り返すことがあります。
例えば、災害や犯罪の夢を見たり、その出来事を誰かに語りたくなったり、子どもの場合はその体験を遊びの中で劇化して、大人をぎょっとさせることもあります。
しかし、これは「忘れていく」ために欠かせないプロセスなのです。
9.11を体験した方がかつて、こんなふうに言いました。
絶望があるところに、光もある。
悲劇は、私たちの命の可能性を強く強く、映し出してくれるものでもあるのです。