海外の記事から。
vulerability は、心理学の文献では「脆弱性」という硬い言葉で表されることも多いですが、「脆さ、傷つきやすさ」というくらいがわかりやすいと思います。
この記事では、特に「Emotional vulnerability」について書かれています。
一般に、 「脆く、傷つきやすい」部分や性質は、隠され守られなくてはなりません。
「弱みを握られる」「弱さをさらす」ことは、命を危険にさらすことになるからです。
しかし、この記事では、Emotional vulnerability と Psysical vulnerability とを同列に考えないようにと指摘しています。
心にまで鎧をまとって弱さを隠し、“完璧な自分”であることは、防弾チョッキで心臓を打ち抜かれないようにすることとは違って、自分に対する“デメリット”も生み出します。
この記事では、Emotional vulnerability に関する以下の5つの真実が書かれています。
1. 他者から拒絶されないようにと、弱さが人目に触れないように本当の自分を隠すことは、結果的に、“自分であること”の放棄につながる。
2. 本当の自分ではない誰かになっていること自体は、一見、自分を守っているように感じられるかもしれないが、実は、居心地の悪さの根源である。
3. 他者の発言が侮辱に当たるかどうかは、自分自身のうちにある価値観や信念体系(belief system)が決めている。つまり、“欠点”や“弱さ”の判断の根拠も、実際に他者がつけいるかどうかではなく、むしろ、自分自身の価値体系に反していることに由来する場合がある。
4. 傷つきやすい心は、自分が他者とつながるための、そして、自分が自分とつながっているための重要なカギである。
(次の文章は、原文がとても素敵なので、そのまま紹介します。
When you allow yourself to be vulnerable to yourself – without beating the crap out of yourself in your head — you can heal, change, transform.
弱さのうちには、癒しや変化、成長の種が眠っているのですね。)
5. 傷つきやすい心は、魅力的である。
(なぜ、多くの人が子どもをいとおしむのでしょうか。それは、彼らの心が、まだ鎧をまとえるほど器用ではなく、傷つきやすさがむき出しになっているからなのです。)
もうお分かりかと思いますが、タイトルへの回答は、もちろん、Noです。
傷つかないように、心に鎧をまとうことは、自分の痛みにも他者の痛みにも、鈍感な精神を作り出します。傷を守るつもりが、他者に対して横暴で傲慢になり、自分の内側が空っぽになったような虚無感を生み出します。
傷つかないことがよいことなのではなく、傷つくからこそ自らの痛みに耐えられるようになり、他者の痛みに寄り添えるようになるのだと思います。