前回ご紹介した『死なないでいる理由』の中に、感情労働に関する記載を見つけました。
これからは数回、感情労働について書いてみたいと思います。
職務内容に沿って、それにふさわしい感情の状態や表現をつくりだす、そういう感情の自己管理を社会学では「感情労働」と呼びます。
例えば、接客、医療、看護、介護、カウンセリング、教育などの仕事がこれに当たります。これらの職種では、サービスという形で感情が商品化され、日々消費されています。
これらは、ひとの感情管理能力に期待し、あるいはそれを活用し、「公的な場における他者との相互作用を、私的な交わりとして体験し表現する労働」です。
こうした仕事は、次の2つのリスクを抱え込んでいると言われます。
ひとつは、仕事に自分を同一化しすぎて燃えつき、共感疲労のような感情麻痺状態に陥るリスク。
もうひとつは、仕事をしている自分を「不誠実な、偽りの演技をしている」とみなし、自己否定の感情に苦しむリスク。
仕事としてイメージしにくい方は、恋愛に置き換えてみるといいかもしれません。
前者は、恋人に夢中になりすぎて、我が身を顧みず、相手に尽くしすぎている状態。
後者は、好きではない相手と付き合いながら、後ろめたさを感じている状態です。
こうなるともはや、感情労働の話ではなくなってしまいますが、感情というのはそれだけ、人間にとって身近なものということだと思います。
人と人とがいるところに、感情は必ず生まれます。金銭の介在しない関係はあっても、感情が介在しない関係はないのです。
2つのリスクの話に戻ると、どちらの場合も、「自分」がおろそかになっていて、相手のことが優先になっています。
相手が座標軸になり、自分はその周りの点として存在していることが、苦しみの原因です。
まず、自分だということに気づけたら、この状況を打開していけるような気がします。
外のことにばかりとらわれていると、いずれ必ず、つらさや苦しさが出てきます。
無視されっぱなしの自分自身が、こっちを見て、と悲鳴を上げ始めます。
労働時間の長さも、影響しているかもしれませんが、おそらく私たち日本人は、もともと自分自身の声を聞くことに慣れていないのではないでしょうか。
私の大好きな詩のひとつに、こんな詩があります。
おおい花よ、
いつも上ばかり見てないで、
たまには下も、見てみろよ。
下から生えて
きたんだから。