性に関する教育、食に関する教育、があるように、感情に関する教育というのもあったらいいのにな、と思います。
感情に関する誤解や無知によって、私たちは不必要に自分や他人を苦しめている。
そんなふうに感じることが少なくないからです。
例えば、カウンセリングの現場でよく耳にするのは、「そんな気持ち、感じちゃいけないと思っていました」という言葉です。
つらさ、怒り、悲しみ…どんな感情も、時にこんなふうに「感じちゃいけない」と排除されることがあります。
「感じちゃいけない」理由はさまざまで、「感じちゃいけない」という警告が意味を持つ場合もありますが、この警告が感情に関する誤解や無知から来ていることも多いのです。そうしたケースでは、「そんな感情が起こるのは、ごく自然なこと」、「感情を感じることと、表すことは違う」、「十分に感じられた感情ほど、相手に対して爆発しない。冷静に表すことができるし、表す必要がないと感じられることさえある」などと、クライエントに伝えます。
多くのクライエントは、それを聴くと「なるほど」と腑に落ちた表情を見せたり、持て余していた自分の感情の置き所を見つけて、ほっとして涙ぐんだりします。
感情について知ることが、心の健康を保つ助けになると実感させてもらえる瞬間です。
他者に自分の感情を無視されたら悲しい。
多くの人はそれを体験として知っています。ですが、その一方で、自分が自分の感情を無視したり、ないがしろにしていることには、案外気づけずにいるのです。
「感情を感じることを許そう」と心がけると、自分の感情の言い分に耳を傾けること、自分の感情に気づこうとする態度を養うことができます。
自分がないがしろにしなかった感情は、他者に向かって暴走することはありません。
認めてもらえた・十分に感じることを許された感情は、大地に水がしみ込むように、じわじわと自分にしみ込んでいくので、水はけの悪いアスファルトの上にたまって自分以外の誰かに向かって見境なく流れる必要がなくなるのです。
近年、マインドフルネスという概念や禅の教えが脚光を浴びていますが、マインドフルネスな状態にあるとき、人は「感情を感じる」ことに対して十分に開かれていると言えます。
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だからといって、瞑想をしたり座禅を組んだりといった特別な訓練が必要かというと、そんなことはありません。
スタートは、まず「感情を感じることを許す」ということを意識することです。
何かモヤモヤとする気持ちになったとき、身体にぐっと力を入れて何らかの感情を堪えているようなとき、一度目を閉じて、普段よりもゆっくりと呼吸をしながら、自分の胸の当たりにモヤモヤやがんじがらめにしている感情をそっと置くためのスペースを作ってみようとするのもいいでしょう。
そんなふうに「心がける」ことによって、ゆっくりとでも確実な変化が起こっていくはずです。
…と、言ってみればこんなことを、特別ではなく自然なこととして、専門的な知識ではなく生きるための知恵として、お伝えしていけたらいいなと思います。
ただし、あらゆる感情をすべて感じなくてはいけないか、というと、そういうわけでもないのが、感情の持つ複雑で面白いところでもあります。
感じても感じても、ただただ不快感ばかりが続いてしまう感情や、感じるためには少し寝かせておくことが必要な感情というのもあります。
自分を飲み込むような悲しみ、他者を傷つけてしまいそうな怒り、足下から崩れ落ちてしまいそうなつらさ…これらは「自分か自分でいられなくなりそうな」「自分や他人を壊してしまうような」脅威的な感情として体験されるため、そこから距離をとろうとする心の健康な働きによって、「感じちゃいけない」と体験から切り離されます。
こういった種類の感情も、いつかは切り離された状態から、自分の中に取り込まれていくとよいですが、「それができる時期まで待つ」ということも大切です。
このあたりの違いについては、また改めて書いてみたいと思いますが、まずは、感情を感じることと表すことは違うということ、そして十分に感じられた感情は自然とおさまりどころを見つけ、表す必要もなくなることさえあることを知っていただき、まず、自分の感情をないがしろにしないように心がけてみる、ということをおすすめしたいと思います。