「あの人はしっかり自分があっていいね」「あいつは、自分ってものがない」
こんなふうに、私たちはしばしば「自分がある・自分がない」ということを話題にします。
ただ単に自分=意思と置き換えられる場合がほとんどかもしれませんが、もっと深刻な状態を指す場合もあるでしょう。
例えば、自分と他者のあいだの存在の境目が曖昧になっているような状態。あるいは、実際の自分が思い描いている自己イメージとはかけ離れてしまっているために、理想の自己イメージを追いかけるあまり、実際の自分をないがしろにしてしまい、結果的に「自分がない」と感じられることもあります。また、本当は自分を持っていたいのに、その「自分」を圧倒的な存在感を持つ他者や周囲から否定されてしまうために「自分を保てない」という場合もあるでしょう。
そして、この深刻な「自分がない」という感覚にさいなまれている個人は、傷つきやすく(vulnerable)、自分に対して恥や情けないという感情を持っていることが多いとされています。
(自分とは何か、という議論に関心がある方は鷲田清一氏のこちらの本をどうぞ)
「自分がある・自分がない」。
この感覚には、「リアルに感じられる他者がいる・いない」という実感が大きくかかわっているように思います。
「リアルに感じられる他者」とは、自分が感じていることを同じトーン、同じ肌触り、同じ温度、同じ感情で照らし返してくれたり、自分が求めていることにしっかりと応えてくれたりする存在で、しばしば乳幼児にとっての母親に例えられます。
NYの心理療法家、Diana Foshaはこの現象を“True self”、“True other”という2つの概念で捉えています。
http://www.aedpinstitute.org/wp-content/uploads/2013/04/Fosha_Emotion_True_Self_True_Other_2005.pdf
自分がある、と個人が感じられるためには、そう感じさせてくれるような他者の存在が不可欠である。
そう考えると、自分という存在は本当に不思議です。
個体としての自分だけでは、存在としての自分はあり得ないのだとしたら、自分は一体どこにあると言えるのでしょう。
そんなことへの解答を探し続けるのが、哲学や心理学という学問の役割であり、面白さなのだと思います。