Talk to Your Heart

emotions are colors of our lives

正解のない問い:自分を傷つける人への寄り添い方

学校では、正解を出すことを求められ、正解を出せる人が評価されます。

でも、生きていく上では、正解のない問いや、正解を出すことが必ずしも大切ではない問いというものに、ぶち当たることのほうがずっと多い気がします。

「どうして死んではいけないのですか」

「どうしてリストカットしてはいけないのですか」

職業柄、そんなことをクライエントから尋ねられることがあります。

かつては、この問いへの答えを一生懸命に考えている自分がいました。

鷲田清一氏のこんな本を読んでみたりもしました。

死なないでいる理由 (角川文庫)

死なないでいる理由 (角川文庫)

 

 でも、この仕事を10年やってきて思うのは、クライエントは、決して納得できる答えを求めているわけではないということです。

「どうして死んではいけないのですか」

「どうしてリストカットしてはいけないのですか」

これらの質問を通して、彼らはこんなふうに言いたいのではないかと思うのです。

「私の声は、あなたに届いていますか」

自分という存在が、相手の心のなかに存在しているという手応えを、言葉に耳を傾けられることや、答えを絞り出す相手の姿をみることによって、確かめようとしている。

そんなふうに思われるのです。

もちろん、こうした問いに接する際に、哲学や心理学の知識はないよりはあったほうがよいでしょう。

ただ、問われているのは、聴き手自身のなかにクライエントがいるかどうか。クライエントの存在としっかりと向き合っているかどうかなのだと思います。

これを、クライエントの自己顕示欲だとする考えもあるかもしれませんが、そうではありません。

誰しも、自分の声を相手の心に届けたいのです。

目の前の相手に自分の存在を感じてほしいのです。

これは、とても自然で真っ当な欲求です。

精神的な虐待や身体的な虐待以上に、子どもの心に傷を残すのはネグレクトであると言われます。

いるのに、いないことにされる。

あるのに、ないことにされる。

これは、いわば、存在に対する暴力です。

「あなたの声は私に届いているし、あなたの存在は私の心のなかにあります」

そんな気持ちが、問いを発した相手の心に届くように、考え、応答していきたいです。

生きるリズム

頭のスピードと、身体のスピードって全然違う。

そんなことを感じた体験について、今日は書いてみたいと思います。

先日、久しぶりにじっくりと話し手(フォーカサー)になって、フォーカシングをする機会がありました。

フォーカシングとは、簡単に言うと、普段はあまり意識することのない、身体で感じられているまだ言葉にならない感覚(フェルトセンスとも言います。)に注意を向けて、じっくりと味わっていくプロセスのことを指します。

そこで発見したことが、冒頭に書いたことです。

普段、頭は日常の慌ただしさのスピードに合わせて動き、時には、その忙しない今をも飛び越えて、まだ訪れていない未来にまで飛んでいきます。

まだ起こってもいない出来事を想像して不安になるのも、こんな感覚ですね。

一方、身体、しかも喉や胸のあたりよりも、もう少し下のいわゆる肚(はら)の部分に流れている時間は、もっとずっとゆっくりで、どっしりとしたものでした。

そして、その自分の中のゆっくり、どっしりとした時間の流れに気づいたとき、何とも言えない安心感を感じることができました。

(ただ、頭のほうは少し不安になって、「そんなにゆっくりでいいの?」という考えも浮かんできました。)

この頭と身体のスピードのギャップに気づいたことと、身体のなかのゆっくりとした流れがあることを知ることができたことは、とても大きな収穫でした。

例えば、うつ病になると、頭の回転が鈍くなると感じる方が多いです。

これはもしかしたら、頭のスピードに合わせすぎた身体が、息切れをしているサインだったり、「そんなにたくさんはこなせないよ」とブレーキになってくれようとしているということなのかもしれません。

私たちは、本来の生きるリズムを無視して、社会のスピードに適応しようとしているのではないかなぁと、この体験を通して思いました。

私の中の身体の中の時間の流れは、ちなみにこんな感じです。


『海中絶景世界 HD Amazing Blue in the World HD』トレーラー・本編編 HD

海は命が生まれた場所。

きっと私たちの生きるリズムは、本来はこんな感じなのではないでしょうか。

この何倍、何百倍というスピードで日々を送っているとしたら、それだけでものすごいことです。

海の生き物たちの動画を観ながら、本来のリズムに戻る時間を取ってみてもいいのかもしれません。

傷つきやすさは弱さじゃない。

一つ前の記事で、感情に気づくことの大切さについて書きました。

emotion-lab.hatenablog.com

この内容を振り返ってみて、「でも、実際はこんなに簡単じゃないかもなぁ」とも思いました。

「感情に気づく」ことができても、その感情にまたフタをしてしまうことも、結構多いですね。

「あ。もしかしたら今、悲しいのかも」と、自分の気持ちに気づけたとします。でも、その悲しみに気づいた途端、「いやいや。そんなはずない」とやってしまうのです。

一旦見つけた大好きなおもちゃを、「あ、なんだかやっぱりこれは子どもっぽいかも」と、慌てて年齢相応のおもちゃを引っ張り出そうとするような心の動きに似ているかもしれません。

ここにはいくつかの理由があります。

心である感情を感じている。そのこと自体が、何かよくないことだと思ってしまう場合があるのです。

本当はごく自然なことなのですが、「泣くんじゃない。みっともない」とか「そんなに大声で笑ったら恥ずかしいわよ」といった大人の言葉に、子どもの心は敏感に反応します。

こうした体験が積み重なると、自分の心が悲しみに沈んだり、喜びに弾んだりするのは、おかしいことなのかもしれないと感じてしまいます。

また、感情をあまり出さない家庭で育ったり、家族が情緒的にお互いを頼り合うことが少なかった場合、感情を感じること自体が、「こんなことあっていいんだろうか」と、人を不安にさせることもあります。

「みんな、いろんな気持ちを感じながら生きていて、それはまったくおかしいことじゃないんだよ」

当たり前と思っていることも、こんなふうに改めて言葉にすることが、実はとても大切なのかもしれません。

Brene Brownは、人間の心が持つこうした無防備さ(vulnerability)が持つ力に注目しています。

自分の感情に気づくということは、自分の心の柔らかさや繊細さ、傷つきやすさに触れるということです。

それは決して弱さとイコールではないのだと、Brene Brownは言います。

www.ted.com

心の繊細さは、感受性の豊かさでもあります。

外の世界の様子を敏感に感じ取り、かかわる相手を知り、自分を知り、自分と世界の関わりを模索するためのアンテナの感度が高いということなのです。

吸収できること、発見できることがたくさんありそうですよね。

無防備さ(vulnerability)は可能性の宝庫。

芸術家や有名なコメディアンに繊細な方が多いのも頷けます。

傷つきやすい自分が嫌だと感じている方に、このメッセージが届くといいなと思います。

本当の勇気は「弱さ」を認めること

本当の勇気は「弱さ」を認めること

 

感情への気づきは感情を変える第一歩

昨日、Emolの紹介をしましたが、感情の記録をつけたり、「今どんな感情ですか」とキャラクターから聞かれて、自分の気持ちに注意を向けることが、そもそもなぜ大切なのかという大前提について書いていませんでした。

さまざまな心理療法が、感情の問題に取り組むには、まず感情に気づく力を育むことが大切だとしています。

EFT(エモーション・フォーカスト・セラピー)も治療原則のうちの一つに、感情に気づくことを挙げていますし、CBT(認知行動療法)で言うところのセルフモニタリングや、近年よく耳にするようになったメンタライジングも、この「感情への気づき」を含んでいます。

感情に気づくことは、それまで自分の感情に支配されていた人が、感情から主導権を取り戻す第一歩になります。

日本語では少し説明しにくいのですが、英語では、クライエントに以下のように提案することもあるようです。

「I am angry. (私=怒り)ではなく、I feel angry.(私≠怒り)と言ってみましょう」

このようにして、自分の感情と適切な距離を取ります。

感覚としては、I am angry. と言っているときは、自分の中が怒りでいっぱいですが、I feel angry.と言えると、なんだか怒りが胸のあたりに収まってくれるような感じです。

 

怒りは感情の中でも特に厄介で、嫌われがちですが、怒りを抑えたり無視したりするのではなく、それに気づいて、I feel angry.(ここに怒りがあるなぁ)とつぶやいてみるのをオススメします。

まずは、自分の胸のあたりに怒りのスペースを作ってあげる感じでしょうか。

こうして、怒りに支配される感覚から、怒りを自分が所有している感覚にシフトできたら、それを言葉やイメージを通して外に出して(外在化して)、カウンセラーと一緒に取り組むことができます。

怒りにも怒りの言い分があるので、それに耳を傾けてあげると良いようです。

先日、紹介したエマ・ストーンの記事の中にあった、幼い彼女が描いた絵とメッセージが思い出されます。

「I am bigger than my anxiety.(私は不安より大きい)」

www.cosmopolitan.com

不安障害に苦しんでいた彼女の中にとって、これはとても大切な感覚だったのではと思いました。

感情への気づきは、この感覚を持つ助けになるのです。

感情に関するアプリEmol

以前、CFT(コンパッション・フォーカスト・セラピー)のワークショップに参加した際、講師の先生が呼吸のトレーニングのためのアプリを紹介してくださったのが印象的でした。

(もう一つ印象に残ったのは、安心できる場所のイメージをGoogleの画像検索でクライエントと一緒に探すというものでした。自分の中に安全感が持てないクライエントも多くいます。そんなとき、イメージを一緒に探す・作るためにこういう方法もどんどん取り入れていきたいと思いました。)

セラピーの中でもクライエントにアプリの紹介をしたりするとのことで、日本語で利用できるものができたらいいなぁと思っていました。

たまたまtwitterの広告で見つけたのが、こちらのアプリです。

Emol - AI感情日記エモル

Emol - AI感情日記エモル

  • Eaze inc.
  • ライフスタイル
  • 無料

 早速ダウンロードして試しています。

キャラクターのロクとのチャット機能もついています。

複雑な会話は難しいようですが、即レスなので、ちょっとした気持ちを吐き出したいときにはいいかもしれないと思いますし、ちゃんと会話が成立すると、孤独感も和らぐ効果も期待できそうです。

また、夕方に「感情の記録をしませんか?」とリマインドをくれる設定もあり、習慣化しやすいかもしれません。

クライエントにオススメできるかどうか、もう少し試してみたいと思っています。

無料ですし、アプリを開くとキャラクターが「マスター(なぜかこう呼ばれます)が来てくれてうれしいです」と言ってくれるので、可愛らしくて癒されます。

キャラクターのロク(AI)がどんどん会話が上手になっていったら、カウンセラーにとっては脅威でしかありませんが、今はまだクライエントと一緒に利用できるツールとして、カウンセリングの役に立ってもらえそうな感じがします。

弱さのよりどころとしての音楽。

近頃、ツイッターで知り合った方が、以前からこのブログを読んでくださっていたことがわかったり、コメントを寄せてくださる方に出会えたりと、うれしいことが続いています。

ひっそりと綴っていたこのブログですが、必要としている人のもとに届けられるように、これまでより積極的に発信していけたらと思いました。

ありがとうございます^^

 

近年、心理療法の世界で、アタッチメントの重要性が再び指摘されるようになりました。人を救うのは、必ずしも人としての愛着対象だけではなく、ずっと聞き続けている音楽、繰り返し読む小説、人生の節目節目で印象に残った映画なども、十分に人を支える愛着対象になりえます。

私にとって、それは尾崎豊の音楽であったり、鷲田清一さんのエッセイであったり、水曜どうでしょうであったりします。

中でも尾崎豊の音楽はもう、20年以上、私の心の支えです。

生きることの苦しみや、社会との折り合えなさ、人生における個人的な出来事のエピソード(尾崎は、子どもが生まれたこと、ドラッグに溺れ刑務所に入った体験についても歌っています)を、彼がその声とことばと、メロディで表現してくれたことによって、思春期に差しかかろうとしていた私も、自分の中にある苦しさや、憤り、社会と折り合えない不安を押し殺さずにすんだと思います。

あの頃はまだ、ここまで自覚できていませんでしたが、彼の歌の中に、自分の中にもある感情を見つけて、ひとりぼっちじゃないと感じたのだと思います。

親にも同級生にも理解されないかもしれない思いを、彼の音楽に抱えてもらいながら過ごしていました。

幸せを歌った曲や前向きになれる曲も好きですが、人の心の中には、幸せや喜び、愛といったポジティブな感情だけではなく、悲しみや怒り、苦しみ、不安といったネガティブな感情がたくさんあります。

そんな感情のよりどころになるような作品が一つでもあると、世の中に、弱い自分の居場所ができたような気持ちになれます。

近年では、平井堅さんの『ノンフィクション』がそうだったなぁと思います。

realsound.jp

「人生の苦渋や苦難を歌った楽曲なので、生きることの暗部にフォーカスをあてて書いたのですが、でも決して諦めずに生きることを選ぶ、全ての勇者達を歌った曲です。真剣だからこそ悩み、迷い、時に投げ出したくなることが生きることだと思います。」

記事の中の平井さんのコメントもとても素敵だと思ったので、引用しました。

勇気の定義っていろいろですね。

精神科のクリニックに勤めていた頃、患者さんの口からよくこんな言葉を聞きました。

「死ぬ勇気もなくて…」

でも、生きていることが勇気だし、精神科に行ってみようと思ったことが勇気。

自分の中の弱さを認めたり、さらけ出せることが勇気。

だから、目の前の患者さんの姿は、本当は勇気そのものなのですが、自分の中の勇気には、なかなか気づけないものなのだと思いました。

海外アーティストが、つい最近こんなタイトルのアルバムを発表したそうです。

wmg.jp

ノー・シェイム。恥なんてない。

ちょっとパワフルすぎて、日本人には突き抜けた表現に聞こえるかもしれません。

でも、世の中に確かに、「自分の弱さを受け止め、表現していこう。弱さは決して恥ずかしいことじゃない」というメッセージが、広がり始めている気がして、うれしくなりました。

弱さを認めるちから

なんと、当ブログがあるクリニックで紹介されたそうで、書き手としてはうれしい限りです。もともと、アウトプットのトレーニングとして始めたものですが、読んでくださっている方がいると思うと、書くことにますます張り合いが出ます^^

 

さて、恥と弱さについては、まだまだ、たくさん書いてみたいことがあります。

今日はこちらの記事から。

www.vogue.co.jp

この記事の中のとてもリアリティがある部分は、アリアナ・グランデが自分のつらい体験について、完全にオープンにしているわけではないところだと思います。

むしろ、PTSDという症状を認めたくない気持ちや、自分の体験について「つらい」と少しだけ触れながらも、「話すべきではない」と感じているという葛藤も、いい意味でスターらしくなく庶民的で、とても親しみを感じます。

( 日経新聞のWeb版では、この葛藤の部分が切り取られ、「話すべきじゃない」という部分だけが強調されているのが残念なところです。)

 

最近は、こうして有名な方たちが、自分が精神疾患と闘っていることやカウンセリングを利用したことをオープンにしてくれるようになりました。

とても勇気づけられる風潮だと感じます。

harpersbazaar.jp

www.cosmopolitan.com

www.huffingtonpost.jp

 

そこで思うのは、心の強さって一体なんだろうということです。

メンタル・タフネスなどという言葉も聞かれるようになり、「折れない心」「ブレない心」を作るには、といったタイトルの書籍なども巷には多くあります。

でも、一方で、精神疾患を抱えていることや、それをオープンにすることに葛藤があると打ち明ける人を見て、私たちは「勇敢だ」と感じたり、尊敬の念を抱くこともあります。

これは決して、「折れない・ブレない・傷つかない」心への共感ではないと思います。

むしろ「弱くて、傷つきやすく、ままならない」心を、まるっとそのまま受け止めて、「恥ずべきことなんかじゃない。これでいいんだ」と声を大にして言えることへの共感だと思うのです。

 

Brene BrownのTEDtalkの中でもそんなシーンがあります。ぜひ、ご覧いただきたい動画です。

www.ted.com

うつ病や不安障害などになって、カウンセリングを受けること、メンタルクリニック心療内科を受診することを、「恥ずかしい」と感じる人は、まだまだたくさんいます。

恥の行動傾向は、隠れることです。

他の人や外の世界とのつながりを絶って、人を孤立させてしまいます。

でも、カウンセリングを受けようと決めたこと、メンタルクリニック心療内科に行こうと決意して、行動を起こすというのは、それとまったく反対の動きです。

自分のままならない心を、完全にではなくても、認めて受け入れたという、とても勇気のある行動なのです。

それは、恥ずべきことなどではなく、むしろ誇らしいことなのです。

笑いと癒しのちから

「癒し」という言葉は、もうすっかり手垢のついた表現になってしまいました。

それでも、「頑張れ」という言葉がつらいときには、癒しや笑いの力を借りて、エネルギーをチャージすることが大切です。

子どもの頃は、同じことの繰り返しがただ楽しかったり、意味など求めずに遊べたものですが、大人になると、いつしか私たちは、意味や生産性、効率、結果が、自分自身の価値を証明するものだと勘違いしてしまいます。

くだらない会話で笑うこと。

何もしないでゴロゴロ過ごすこと。

天気のいい日にぼーっと外の眺めること。

そんな一見、何もない時間の中で、見つけられることや取り戻せることがあります。

声を出して笑ったのは随分久しぶりだという感覚。

自分の呼吸の浅さに気づいて、深呼吸することもあるでしょう。

空の広さは、自分の悩みは案外小さいものだと思わせてくれるかもしれません。

現代人は、何もしないことを恐れすぎているような気がします。

 

東京都市大学の広田すみれ氏が、水曜どうでしょうという番組と、そのディレクター陣が作り出した「場」が持つ力について考察した論文があります。

この中で、広田先生がどうでしょうの視聴者に「レジリエンス(困難に耐え、対処する力)」が育っていたのではないかと考察しているのは、とても興味深いです。

何も考えないで、笑ってテレビを見ている時間に、心が少し強くなっている。

それこそ、笑いと癒しのちからだと思うのです。

 

水曜どうでしょうとともに、個人的にとても好きなのは、幼獣マメシバです。


幼獣マメシバまるっと3シーズンまとめ番組

就労経験もなく、対人関係も築けず、自宅から半径3km圏内で生活し続けているニートの中年男性が、少しずつ社会に向かって行く物語。

もちろん、「働け」とか「お母さんの気持ちを考えなさい」とか、耳の痛いことをいう登場人物もいます。

それでも、寄り添ってくれる犬の存在や、その犬を飼うことから生まれる責任感が、主人公を変えていきます。

とても優しい物語です。

水曜どうでしょうを見ている時間や、幼獣マメシバを見ている時間は、生産的とは言えないかもしれません。

でも、心の滋養が、じわじわと作り出されている時間だと思います。