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自己肯定感と“内なる批判(inner critic)”

自己肯定感を持てない人の多くは、“内なる批判(innner critic)”に苦しんでいます。

内なる批判とは、自分の言動、容姿、才能、社会的地位、ひいては自己の全体にまで及ぶ批判の声です。

「何をやってもダメだ」「劣っている」「何もできない」「どうせ失敗する」

そんな言葉で、自分自身を貶める。

なぜか、私たちの心はそんなふうに働いてしまうことがあります。

psychology todayというサイトでも、この内なる批判に関する記事が紹介されていました。

www.psychologytoday.com

この記事では、内なる批判に対しては、自分への思いやりと共感が大切だと書かれています。確かにその通りです。

ただ、これだけでは足りない場合もあります。

この内なる声が、過去に誰かから言われた声である場合、いつの間にか自分の中に入ってしてしまっているこの声に、出て行ってもらう必要があるからです。

何かを外に押し出すためには、もっと強力なパワーを持つ感情が必要になります。

それは、例えば、怒りや肯定です。

思いやりや共感だけでは足りないと感じるとき、その声に対して、こんなふうに言って心の中で境界を設けることが大切です。

「叱責はもうたくさんです。出て行ってください」

「あなたが思っている以上に、私にはできることがたくさんあります」

「私に必要なのは正当な評価です」

自分で言えないときは、他の人の声を借りるのも有効です。

内なる批判には、強さと優しさで立ち向かいましょう。

This is me への共感:恥(shame)について

大ヒット映画「グレイテスト・ショーマン」。

中でも、キアラ・セトルが歌う “This is me” に感動の涙を流した人は多いでしょう。

 

劣等感や自信のなさや、過去の傷つきに苦しんでいる人ばかりではなく、社会的に成功している女性も、容姿に恵まれた女性も、愛する家族に囲まれて幸せそうに見える女性も、「この曲を聴いて泣いた」「今でも毎日聴いている」と言います。

 


グレイテスト・ショーマン主題歌This is me(日本語字幕あり)

 

This is me は、恥について歌われた曲です。

恥にはいくつかの種類がありますが、この曲で歌われているような「見たくない」「完璧でないなら要らない」といったメッセージによって植えつけられた恥は、自己否定・自己批判を生み出し、人を孤立させます。

この曲が感動的なのは、この植えつけられた恥との決別を歌っているからです。

恥を植えつけてくるような言葉は、もっと強い力(怒り、誇り)で押し流してしまえと歌います。

 

傷があり、完璧でなく、むしろ人から忌み嫌われてきた自分を恥じる必要などない。

こんな自分ですみませんと謝る必要もない。

そのままでいい。それが私なのだから。

 

幸せそうに生きている人にも、自分を恥じるという感覚があり、その痛みを知っているからこそ、この曲に心を揺さぶられる。

ひょっとすると、大小の違いはあれど、誰の心にも、恥によってつけられた傷があるのかもしれない。

そう思ったら、なんだか人に対して優しくしようという気持ちになりました。

恥の痛みを知ることは、ただ苦しいだけではなく、人に対する優しさを育んでくれる体験になるものだと思います。

感情はないほうが幸せか:映画ロスト・エモーション

胸が張り裂けるような悲しみ

自分ばかりでなく他の誰かをも傷つけてしまいそうな怒り

存在価値、存在意義、存在に対する承認を奪われたような恥

終わりのない憎悪

骨が砕けるような孤独

こうした感情に耐えられる人は多くありません。

「感情なんてなくなってしまえばいい」という気持ちは、感情を感じ続けることの苦しみから、自分を解き放つある種の防衛反応とも言えるでしょう。

しかし、それが個人の心の中に留まらず、「感情」は諸悪の根源であるとし、感情のないクリーンな世界が作られたとしたら、どうでしょう。

感情を持つ人、愛情に基づいて他者と親密な関係を結ぶ人が、「欠陥者」とみなされ、治療という名の下に感情を消され、それでも感情を持ち続ける人を、自殺に追いやるような世界。

そんな世界で、人間が生きていくことはできるのでしょうか。

感情を持つことの喜び、痛み、葛藤。

感情のない世界に生きながら、感情に翻弄される人々。

それらをSF仕立てのストーリーで描いた映画を見ました。

邦題:ロスト・エモーション(原題:Equals)


ロスト・エモーション

この映画の主人公は、もしかしたら感情かもしれないと思いました。

主人公たちが見せるあらゆる感情。

感情を排除した世界だからこそ、ひとりひとりの感情が際立って見えます。

不安、恐怖、嫌悪、恥、孤独、愛、喜び、悲しみ、苦しみ。

様々な感情が、登場人物を駆り立て、癒し、翻弄し、慰める様は、見ている方の心も揺さぶります。

久しぶりに、ブログに紹介したい内容でした。

この年末年始、お時間がありましたらご覧ください。

結末は、幸いなことにハッピーエンドです。

日本語とこころ。

言葉が滅びるとき、文化もまた滅びる。

そんな話を聞いたことがあります。

 

文化と言うと大袈裟ですが、その言葉が示す生き方・態度・姿勢が失われていくという意味では、小さな文化的な死ということもできると思います。

 

心の持ち方や人が変化していくプロセスについて勉強していると、外国からやってきた新しい言葉たちに出会います。

resilience(レジリエンス)、mindfulness(マインドフルネス)、transformance(トランスフォーマンス)…などなど。

一方で、我慢、忍耐、辛抱という言葉たちは、すっかり鳴りをひそめています。

 

これらの言葉は、戦時中のイメージがつきまとうからでしょうか。

言葉だけではなく、我慢や忍耐、辛抱を教えるという文化自体が、衰退しつつあるようです。

これらの言葉が意味する態度は、ただただ、自己犠牲的で抑制的であるというものではありません。

そこには、歯を食い縛る強さ、希望を持ち続ける力、未来を諦めない意思、信念を貫き通す美学が宿っています。

何かを達成したり、褒められることによってだけではなく、辛いことに耐えたからこそ、生まれる自信もあるはずです。

耐え忍ぶ、という言葉から想像される姿は、みすぼらしさや惨めさを伴うかもしれません。しかし、清貧という言葉の潔さにも似た、美しさがあると思います。

 

ある時、こんなことにも、ふと思い至りました。

辛抱は、辛さを抱えると書きます。

これは、生きていく上でとても大切な力です。

 

それを示す言葉がなければ、その価値を伝えることは難しい。

だからこそ、豊かで役立ちそうな様々な概念が外国から多く輸入されても、それを一旦、日本語で考えるということや、もともと日本語として存在する言葉の語感を丁寧に吟味し、活用することを、忘れないでいたいと思います。

 

辛抱の大切さがよくわかる一冊です。

 

道をひらく

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