今年の初旬に、Compassion forcused therapy(以下、CFT)のワークショップに出た際に、とても印象に残った言葉がありました。
「人生は苦しい。だからこそ、思いやりが必要なのです」
日本語用のレジュメには、思いやりを“慈悲”と表現している箇所もあり、CFTは、仏教の生老病死のように、「人生には免れ得ない苦しみがある」という人生観をはっきりと打ち出しています。
このように、はっきりと「苦しみがある」ということを丁寧に歌っていた人として、命日も近いせいかもしれませんが、私は尾崎豊さんのことを思い出します。
彼の歌には、愛や夢、希望、幸せと同じかそれ以上に、怒りや悲しみ、痛み、絶望、そして、生きることの苦しさがしっかりと歌われています。
孤独であること。
悲しみに沈んでいること。
絶望に打ちひしがれていること。
これらの状況を、「不幸」で「惨め」で「恥ずかしい」と感じることは、ある程度自然なことですが、それを、心の中でひとり抱え続けることは、少しずつ人の心を蝕んでいきます。
孤独の惨めさに耐えかねて、命を絶ってしまう人も、少なくありません。
「人はただ、悲しみの意味を、探し続けるために生まれてきたというのか」
と、はっきりと言葉にして問い、表現してくれたからこそ、彼の歌は、いつまでも世代を超えて、多くの人の心を救い続けるのだと思います。