誰かのことを好きになる。
それは、相手が魅力的だから、だと思っていました。
愛されている人には、自分にはない魅力があるからだろう、とも思っていました。
だから、この見方はとっても斬新な気がして、愛するということを逆立ちして眺めている気分です。
「愛する」という行為は、まぎれもなくある「意味」を持っている。けれども、これは一方に自存的に「愛する感情」があり、他方に自存的に「愛される対象」があり、それが十全相応的に対応したので成就した、という類のものではない。「愛される対象」は「愛する感情」という志向的情動のうちにのみ存立するものであり、それ以外のどこにも存在しない。(p.151)
難解でよくわからない文章ですが、愛する感情があるから、愛される対象がいるのであって、愛する感情がなくなれば、愛される対象もいなくなる、ということのように読めます。
こう考えれば、わからなくはないです。
だとしたら、相手を好きになるのは、私のなかに「愛する感情」という志向的情動があるから、というふうに言えて、愛するとは、冒頭で述べたような「相手に惹かれる」という受身的なことではなく、「自ら相手を目指す」というもっともっと能動的な感覚があるということです。
赤ちゃんはかわいらしいから愛される。
ということでは、ないようです。
私たちが赤ちゃんという対象に向ける志向的情動としての愛情を持っているから、そこにかわいらしさが見出され、赤ちゃんが愛される対象となるのです。
こんなふうに考えてみると、赤ちゃんをかわいくないという人がいるのも、別に何もおかしなことではないように思えます。
愛することと愛されることをこんな角度から見るのは、とても新鮮な体験でした。
愛するということ、といえば、こちらも。

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