ようやく、読破いたしました。
第3章の愛の現象学の、最後の最後、女性・私・息子という比喩で、レヴィナスが示そうとしていたことは、心理療法の場においてクライエントが変わるために必要な条件として読めるような気がして、またこの場で、いろいろと考察していきたいと思います。
性別にかかわる表現を用いると、途端に差別よばわりされてしまったり、フェミニズムの立場からの批判にさらされてしまうこともありますが、内田樹氏も繰り返し書いていらっしゃるように、私たちは、女性・私・息子という表現を比喩として捉え、そこから空想を広げていくことによって、むしろ、レヴィナスの言わんとすることを正しく理解できるような気がします。
ただひとつ、書いておきたいことは、レヴィナスは女性を受動的なものとして表現していますが、私自身は「受動的な能動性」というものを女性が持っているとも思うのです。
積極的に受動的である、というほうがよいでしょうか。
自分の持ち味を生かすために、積極的に受動を選択し、また受動的であることによって、その能動性を発揮している。
言葉にするとわけがわからなくなりますが、そんな感じがします。
レヴィナスも次のように書いているので、言わずもがなかもしれませんが。
人間とは何か。それは一個の存在者であるためには一つであり二つであるということである。実在のただ中にあって分断され、引き裂かれてあること。より端的に言えば、意識をもつこと、自由であることである。(p.352)
実にためになる本でした。ぜひご一読ください。
次は、こちらを読破しようと思っていましたが…。
本棚の整理をしていて、エンデの『鏡のなかの鏡ー迷宮ー』を見つけてしまい、かなり心惹かれています。。

- 作者: ミヒャエル・エンデ,エトガル・エンデ,Michael Ende,丘沢静也
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1985/04/30
- メディア: 単行本
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