Talk to Your Heart

〜自由が丘カウンセリングオフィスのblog〜

感情の豆知識:感じるべき怒り、目印としての怒り。

「怒り」と一言に言っても、実はここには、大きく2種類の怒りが含まれています。

この2つの怒りは、実際にはあまり区別して語られることがないため、「怒りは大切だ」という意見に対して、「でも、怒って人を殴ってしまってもいいのか」という疑問が投げかけられることもあります。当然の疑問ですね。

怒りの重要性について話すときには、次の2種類の怒りを区別しておくことが大切です。

1つは、「身体でしっかりと感じるべき怒り」。これは、身体でしっかりと感じ、時には表に出すことが必要な怒りです。

この怒りの特徴は、コントロール可能であり、始まりとピークと終わりがあり、一定の時間が経てば自然と収まっていくというものです。

例えば、大切なものを守るために発動する怒り、理不尽な相手に境界を設けるための怒り、適切な自己主張をするための怒りなどがあります。

もう1つは「目印としての怒り」です。

私たちは、意識的にも無意識的にも、「感情で感情を隠す」ということをします。

例えば、悲しみを隠すための怒り、恥を隠すための怒りがあります。

悲しみや恥は、自分の脆さや弱さを私たちに痛感させます。こうした脆さや弱さを感じると危険だということを、育ってきた環境や経験した出来事から学んだ人は、悲しみや恥を怒りというより強さを感じさせる感情で隠すことによって、危険から身を守るのです。

目印としての怒りは、コントロールしにくく、破壊的・攻撃的なものになるという特徴があります。そして、こうした怒りは感じれば感じるほど、モヤモヤや不快感が募り、堂々巡りでどこにもいけないという感覚に陥ってしまいます。

「目印としての怒り」である場合、怒りそのものを感じるのではなく、その感情によって隠された別の感情を感じることが大切なのです。

例えば、リベンジ・ポルノは、こうした悲しみや恥を隠すための怒りの最たる例だと言えます。

交際相手に振られた腹いせとしてのこうした行為に、人を突き動かすのは怒りです。

しかしこれは、あくまでも「目印としての怒り」であり、この怒りの下に、別の感情が隠されているのです。

本当は、交際相手にフラれたという屈辱感(恥、傷つき)や、その人を失った悲しみを、本人が引き受け、感じ切らなくてはいけません。確かにつらいことですが、自分の中の悲しみや恥を認め、ゆっくりと時間をかけ、時にはカウンセラーの手も借りながら消化していくことで、怒りによって、感情を隠す必要がなくなります。

自分が感じている怒りが、感じるべき怒りなのか、目印としての怒りなのか、区別をつけることは簡単なことではありません。その場合は、カウンセラーに自分が感じている怒りについて話し、助言をもらうのも一つです。

この「目印としての感情」や「感情を感情で隠す」という心の機能について知っておくことで、自分の感情が感じるべきものなのか、それとも、その感情の下にあるより重要な感情を探すべきなのかが、見えてくるのではないかと思います。