「トラウマ」と聞くと、事故や災害、虐待といった大変な目に遭った人が抱えるものというイメージがあるかもしれません。
しかし、最近ではトラウマには、「Trauma(big T trauma)」と「trauma(small t trauma)、日本語で言うなら「大きなトラウマ」と「小さなトラウマ」の2つがあると考えるのが一般的です。
最初に書いた事故や災害、虐待などが「大きなトラウマ」です。
では、「小さなトラウマ」とはどんなものを指すのでしょうか?
これは、情緒的なコミュニケーションの欠如、アイコンタクトやスキンシップの乏しさ、受け止めてもらえない・見てもらえていないという体験といった、本人ですら意識しづらい些細なミスマッチが繰り返されるというものです。
この「大きい/小さい」という表現は、インパクトの大きさを指すものではありません。
小さなトラウマも積み重なると、人生にさまざまな問題を引き起こします。
そして、小さなトラウマの厄介なところは、先ほども書いたように、些細なことすぎて、日常的すぎて、本人にもその苦しさの原因が何なのかわからないということです。
カウンセリングでは、クライエントさんに、生い立ちや親との関係について振り返ってもらうのですが、
「愛されて育ったと思います」
「両親は何不自由なく育ててくれました」
と、おっしゃる人が少なくありません。
でもなぜか、苦しく、生きづらい。人との関係がうまくいかない。
そんな悩みを抱えていらっしゃるのです。
そして、次第にカウンセラーとの対話の中で、
「こんなふうに話を聞いてもらえたことはなかったような気がする」
「自分がほしかったものはこれだったんだなぁと思う」
などと、子どもの頃の自分になかったもの・与えられなかったものに気づくのです。
「なかったもの・与えられなかったものに気づく」という表現は、書いていてもつらいものですが、裏を返せば、「ほしかったもの・求めていたものが見つかる体験、言葉になる体験」でもあります。
「これがほしかったんだ!」と、自分でも認めながら、カウンセラーにも聞いてもらう。
この瞬間を体験するのは大人になったクライエントさんですが、クライエントさんの中の子どもの部分も、それを一緒に体験しています。そのため、
「やっと手に入った。でも、随分時間がかかったなぁ」
と、クライエントさんは、うれしさと悲しみが混じり合った複雑な気持ちを体験することになります。
「でも」とか「ダメ」とか言われずに、話を聞いてもらえること。
話をしている相手が、きちんと自分の方を向いてくれること。
目があったら笑顔になること。
一緒に笑えること。一緒に泣けること。
そんな息の合ったコミュニケーションは、ありふれているようでいて、実は当たり前のものではないのだなと、この仕事をしているとよく感じます。
理由のわからない生きづらさを抱えている人は、何気ない日常で、自分を受け止めてもらえなかった体験が積み重なっているのかもしれません。
生きるのが下手だと自分を責めるのではなく、一度そういう視点で、ご自分のこれまでを振り返ってみるのはどうでしょうか。