40代と言えば、ミドルエイジ・クライシス、いわゆる中年期の危機が訪れるタイミングです。
それまで、カウンセリングとは無縁の人生を送ってこられた方でも、夫婦関係の悩みや子どもとの関係、職場の人間関係(中間管理職としてのストレスなど)での悩みを抱えて、カウンセリングの門を叩きます。
そのような方々のお話を聴いていると、パートナーや子ども、会社での立場が突きつけてくる“変化の要請”は、容赦のないものだなと感じます。
しかし、“変化することそのもの”は、カウンセラーの眼から見ても、大いに頷けるものであったりもします。クライエントさんが積み残してきた人生の課題を、パートナーやお子さん、職場での立場が、ぐっと突きつけてくるのです。
先ほどは、容赦のないものと書きましたが、これを乗り越えると、確かにこれからの人生がすぅっと楽になるものなのだろうなと感じます。
「本質を突くものだからこそ、痛い」のです。
しかし、人生の半分を共にしてきた自己の部分やパターンは、なかなか手放せるものではありません。
“変わってほしいという要請”が突きつけられる自己の部分は、パートナーよりも、子どもよりも、人生の長い時間を共にしてきた相棒でもあるからです。
カウンセラーとしては、焦ってはいけないなと感じます。
その人のこれまでのパターンも尊重しつつ、そのパターンが生まれてきた背景や理由もしっかり共有したいです。どんなパターンにも、生まれてきた理由があり、その人を守ってきたり、その人の役に立ってきたものだからです。
そして同時に、パートナーや子どもから突きつけられている変化にも開かれていくよう、そっとクライエントさんの背中を押したいと思います。
「パートナーや子どもは、自分に愛情がないのだろう。だから、自分を否定するんだ」
そんなふうには思わないでいただきたいのです。
例え、離婚という結末が見えていても、そこまでのエネルギーを持ってして、お互いの“変化への端緒”を開こうとしているのだと思います。
一旦、人生を共にすると決めたふたりの結びつきというのは、すごいものです。
痛くても、憎たらしくても、すべては愛からスタートしている。
ただし、その愛はときに鋭く、容赦なく、本質だけを突いてくる。
だから、ただただ痛いし、嫌われているとしか思えないのだろう。
第三者から見ると、そんなふうに感じられることが多いです。
少し抽象的な話になってしまいました。
この辺り、私ももう少し、言葉にしていかなくてはいけないなと思っています。