毒親という言葉は、慎重に使いたいと思っているけど、この言葉が、多くの人の生きづらさをすくい取り、形にしていて、カウンセリングの門を叩くきっかけになっています。
そのこと自体は、とても大切です。
心の痛みには、名前がつきにくいので、「毒親育ち」という言葉は、いわばクライエントさんたちが使う、“喉がイガイガする”、“体の節々が痛む”という表現の心バージョンだと思うのです。
なぜ、「毒親育ち」は生きづらいか。
その原因の1つに、「つながり vs 感情」の問題があります。
つながりは、愛着(アタッチメント)とも言います。
子どもにとって、自分の親とのつながりは、生きていく上で欠かせないものです。
親が自分が泣いたり、喜んだり、怖がったりするのを嫌がると、子どもは、自分の感情を抑え込んででも、親とのつながりを守ろうとします。
例えば、親がある特定の感情を嫌う(感情恐怖 affect phobia)傾向がある場合、子どもに対して必要以上に、「泣くな(悲しみが怖い)」「怒っちゃダメ(怒りが怖い)」「調子に乗るな(喜びが怖い)」といった、感情を否定する言葉を投げつけてしまいます。
そして、こうした言葉はしばしば、「そんな子は知りません」と置いて行こうとしたり、ベランダに締め出したり、白い目で見てため息をつくといった「そんなことする子は、うちの子じゃない」という拒絶のサインを伴います。
これが繰り返されるうちに、子どもは、親との心のつながりを守るために、「 泣くのはやめよう」「怒ったらいけないんだ」「喜ぶなんてみっともない」と、自分の感情を表すことも、感じることもやめるようになります。
そうしてでも、健気に、親とのつながりを守ろうとするのです。
しかし、このまま大人になると、周りの人のように、うまく自分の気持ちを表現できないことで、仕事や対人関係が支障が出始めます。
自分の感情に目を向けないまま育ってきたので、見た目は大人でも、感情を扱うスキルは、年齢相応に発達していないのです。
これは、心に起こる見えないプロセスです。
近年では、情緒的虐待emotional neglect という概念にもようやく光が当たるようになってきましたが、身体的虐待のように、あざや骨折のあとが見えるものではないので、周りの人たちも、本人自身も、自分の自由な感情表現が、抑えられ、歪められていることに気づくことができません。
自分の苦しさに、名前がつかないと、苦しさを表現することができません。
苦しさを表現できないと、それが本当にあるのかどうか、わからなくなってしまうのです。
毒親育ちの生きづらさには、こうした目に見えない感情への影響があることが、もっともっと世の中に広く知られて、生きづらさ解消の選択肢として、カウンセリングを選んでもらえたらと思います。