Talk to Your Heart

〜自由が丘カウンセリングオフィスのblog〜

大事なので何度も書きます:怒りの機能と役割

先日、友人からこんな相談を受けた。

「職場で怒りを顔に出したくない。どうしたらいい?」

聞けば、職場にモラルのない人がいるとのこと。

モラルのない人に腹が立つのは、自然なことだ。

でもそれを「出さないように」「抑えないといけない」のが現実であり、カウンセラーもクライエントも皆、そんな世界を生きている。

「怒りって、自分が大切にしているものが傷つけられたり、侵害されたり、無視されたりしたときに感じる感情なんだよ」

と伝えると、友人からは、

「そんなふうに考えたことなかった。何が傷つけられたと思ってるのか、考えてみる」

と返事が来て、やりとりは一旦終わった。

 

感情は人の役に立つものだから、長い進化の歴史を淘汰されず残り続けている。

怒りにもさまざまな役割がある。

大切なものを守る。

自分のテリトリーや権利を侵害する人に対する境界線を引く。

戦うためのエネルギーを身体に充填する。

恐怖や絶望に崩れ落ちそうなとき、心の中で怒りの感情を奮い立たせれば、それ以上の悲劇を防ぐために戦う力が湧いてくる。

 

鬼滅の刃という漫画にもそんなシーンがあった。

 

「怒れ」

これは、家族を殺され、唯一生き残った妹の命まで奪われそうになった場面で、主人公に向けられる思いだ。

絶望の淵に立つ主人公に必要なのは、怒りによって自分を奮い立たせることだった。

たった一つの “大切なもの” を守るために。

 

世の中には、卑劣で姑息なことをする人たちもいる。

そういう人たちは決まって、相手の「怒り」を揶揄し、蔑み、バカにする。

いじめた相手に怒ったら、笑われて、黙り込むしかなかった人もいるだろう。

ハラスメントだと抗議したら、「ヒステリーだ」とバカにされた人もいるだろう。

「やめてほしい」と伝えたときに、「それくらいで怒るなんて」と軽蔑の眼差しを向けられた人もいるだろう。

怒りを恐れる人たちは、「怒るのは筋違いだ」「怒るのは変だ」「怒るなんて恥ずかしい」というメッセージを与え、巧妙に相手から「怒り」を奪い、無力化しようする。

無力化の罠にはまらないように、怒りを奪おうとする相手の姑息さに目を向けてほしい。

 

こうした手段は決して、サイコパスと言われる人たちだけが使うものではない。

「怒り」を厄介に感じる人たちや、事を荒立てたくない人たち、問題に対処する力や余裕がない人たちは、こうした手段で怒りの火を消そうとする。

「怒り」の火が燃えるのは、大切なものを傷つけられた痛みや、恐怖や、失望があるからなのに、それに思いを馳せることもせず、ただ「厄介だから」「都合が悪いから」と、怒りごと消してしまおうとする。

怒りが受け入れられない世の中では、「怒りの火消し」は、善意として肯定されることすらある。常識人のすることと、誤解されている節もある。

この現象は、当然のように起きてしまうため、弊害に気づく人は少ない。

 

でも、私たちは怒りがあるから、自分のため、他者のために戦えるのだ。

相手に怒りを向けられることで、自分が相手を傷つけてしまったこと、相手の領域に立ち入りすぎたことや、想像力が足りなかったことを教えてもらえる。

感情は、人と人がつながって、支え合って生きていくために与えられたギフトだ。

そのギフトを自ら否定せず、人からも奪わないようにして、生きていかなくてはと思う。