海外のカウンセリングのデモンストレーション・ビデオでは、クライエントがポジティブ感情にただただしっかりと浸り、生き生きと変化していく様子を見ることがある。
そのプロセスはとても感動的で、強く心を動かされる。
「日本でも、こんなカウンセリングができたらいいな!」
と、喜び勇んで、自分のクライエントとのカウンセリングで使ってみようとする。
が、なかなかビデオで見たようにはいかない。
せっかく希望や喜び、自信といったポジティブな感情を体験しても、日本人のクライエントは、こんなふうに言うことが多い。
「それがなくなったらと思うと怖い」
「いつまでそれが続くか、わからないなと思ってしまう」
私はこれを一時期、敗戦のトラウマによるものかと思っていた。
浮かれていたらバカを見るという考えを、戦後の日本人はどこかで捨てきれずにいるのではないかと。
でも、そうではないのかもしれない。
戦争に負けるよりも前から、日本には四季があり、諸行無常という概念があった。
「いつまでそれが続くかわからない」
桜にしろ、花火にしろ、日本人が愛でるものには、儚さがある。
ポジティブ感情を体験したとき、クライエントさんがそこに儚さをみるとしたら、その体験は、その方にとって本当に美しくて、大切なものなのではないか。
日本人のクライエントさんとのカウンセリングでは、無理に、ポジティブな体験に永遠の命を与えようとする必要はないのかもしれない。
むしろ、その儚さを一緒に味わうことで、「失くしてもきっとまた出会える」という巡りくる四季を連想させるようなストーリーが生まれるのではないだろうか。
永遠ではなく、再生・再会を願う。
そんな精神性が、私たちの心には育まれているのかもしれない。
こんなことを考えていたら、この曲の歌詞が思い出されました。